見出し画像

モヤモヤの晴らし方

我が夫は気の良い人ではあるが、時折デリカシーに欠ける言葉を漏らすのが玉に瑕である。先日も、夫婦で夫の両親の処遇について話し合っていた時、この悪い癖が出た。
「京都にそのまま居てもらうとなると、こっちから何度か行かないとね」
私がこう言うと、夫はこんな風に返してきた。
「お前、月の内二週間くらい行ったらええやんけ」
ん?
「仕事とか楽団とか続けられへんようになるなあ・・・」
「そらしゃあないやんか」
え?

いや、良いんですよ。行くのはやぶさかではないんです。
問題はあなたのお言葉でございますよ。なんどすか、その言い草は。いい加減にしよし・・・とは言わず、そっと黙って会話を切った。
夫は気にする風もなく、吉本新喜劇を観て笑っている。
ふうん。
胸の中がきゅうっと苦しくなった。

こういう時は自分にどうしてこういう感情が起きたのかなあ、とゆっくり分析してみることにしている。
先ずこの夫の発言に対して、『良い』とは私は思っていない。腹が立つというより、悲しい。はい、どうしてでしょうか?
どうしてかというと、夫が私の気持ちを考えてくれていないと分かったから。ほい、深堀り一回目実施。奥にある自分の本当の気持ちを探す。
裏を返すと、私の気持ちを考えてくれて当然だと思っていたのに、裏切られたから。ここで深堀り二回目実施。
もう一回裏を返すと、夫には裏切ったという気持ちは微塵もなくて、私が勝手に期待したから。

ではどうなったら私は嬉しいだろう?
夫が私の気持ちをわかってくれる。素直に私の思っていることを伝えられる。それをきちんと聞いてもらえる。
それにはどうすれば良いか。
きちんと夫と向き合う。嫌な気持ちになったことも話す。遮らずに聞いてもらうようにする。夫の反応は脳内で先取りしないで、夫の感情に任せる。
あとは実践あるのみだ。

「あんね」
今日の夕食後、居間でくつろいでいる夫に思い切って声をかけた。
「ん?」
「昨日な、おばあちゃんの話の時、私が仕事とか楽団辞めることになっても、『しゃあない』って言うたやん?」
「おー・・・」
夫は心なしかバツが悪そうである。悪いとは思っていたのかな。でもそんな言葉は聞いていない。
「私な、寂しかってん」
「うん、一瞬しまったと思た・・・」
じゃあ修正しろや、とツッコミを入れそうになったが、ぐっと耐える。マウントを取ると勝ち負けを決めることになってしまう。
「あんな。私引っ越しの度に、職場にしても、楽団にしても、新しい人間関係一から作って来てるやん?それも楽しいことではあるんやけどな。今回もやっと馴染んできて、今私ええ人達に恵まれて幸せなんやわ。それをいきなり『しゃあない、辞めてもらう』なんて、そんなのあり?」
「オレは可能性の話をしたまでで・・・」
諦めの悪い奴め、と心であっかんべーをする。しかし表情はあくまでも穏やかに、穏やかに。諄々と言い聞かせる為には、激しい怒りは表に出さないことだ。
「わかってる。私が言いたいのはそういうことじゃない。私の気持ち考えた発言やったの?っていうこと」
「・・・」
夫はしょんぼりしてしまった。気付いて気にしてはいた、というのが雰囲気で伝わってきた。続いてモゴモゴと言った。
「ごめん・・・悪かった」
やっと謝罪の言葉が聞けた。

以前はこの『ごめん』が全く出ない人だったから、偉そうな言い方だが、これでも随分な進歩?だと思う。
夫のこのデリカシーのなさは、姑に非常によく似ている。親子だなあ、とつくづく思う。姉がよく姑に怒っているのは、大体がこういう感じの思いやりのない、デリカシーのない発言に対して、である。姑の発言は、私など「わあ、また出たあ!」と面白がっているのだが、姉には耐え難いものらしい。姉の気持ちがこういう時よくわかる。
姑は一向に変化が見られないが、夫はここ数年で少しずつ変わってきた。それは私が夫を変えようとしたのではなくて、私自身が変わったのを夫が目の当たりにして、我が身を振り返った末のことであると思う。
他人を変えることは出来ないが、自分を変えることで他人が変わってくれることはある。必ずしもそうなるとは言い切れないけれど。

私が仕事や楽団を辞めることになるとしても、私の気持ちを無視した「やらされた感」があると、夫に対してきっと恨みを抱いてしまう。自分もきっと心身を病むだろう。そうなれば結果として、夫にも姑にも良いことは起きない。
どんな時もこんな風に、「私は満たされているか」を丁寧に確認していきたい。そうすれば多分色んな事が上手く回っていく筈である。
他人を責めない。でも言われっぱなしはダメだ。わかってもらいたいことははっきり口に出して言う。「こう思ってくれるんじゃないか」なんて、勝手な期待は抱かない。結果は気にしない。
私なりの、モヤモヤの晴らし方である。