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ピーちゃんのお気に入り

実家の隣家はT さんという。長崎の五島列島出身のご夫婦と、私より一つ年下の男の子、ウチの妹より二つ年下の女の子の四人家族だった。
家族構成が似ているのと、どちらもよその県から来ている者同士、仲良くさせてもらっていた。
幼い頃は子供同士、よく一緒に遊んだものだった。

Tさん宅にはいつ頃からか、一羽のセキセイインコがいた。名前をピーちゃんといった。羽を切って手乗りで飼われており、寝る時以外は家の中で放し飼い状態だった。
気難しいご主人は生き物全般が大嫌いで、ペットを飼うなんてもっての他、という人だったらしい。
だがある日、そんなT家の庭先に、突然ピーちゃんがやってきた。
野良インコだったわけではなく、どうやら少し離れた団地に住んでいる人が、増えすぎたインコの始末に困り、放した内の一羽らしかった。
奥さんは困惑し、子供達は大喜びした。ご主人は眉をひそめたらしいが、
「オレは一切関わらん」
とだけ言うと、飼うことを黙認してくれたということだった。
ピーちゃんはこうして、晴れてT家のペットとして迎えられた。

ピーちゃんは賢い子だった。
耳がよく、廃品回収の車や選挙カー等が喧しくがなりたてるのが苦手で、近づいてくると物陰に隠れようと大騒ぎするらしかった。
一度など、炬燵の中に入り込んでいたらしく、知らずに脚を突っ込んだご主人とひと悶着あったと聞いた。
奥さんは大きな声でよく喋る、陽気な人だった。近所の人と立ち話に花を咲かせていると、奥さんの声を聞き付けたピーちゃんはけたたましく鳴いて、『自分も外に出してくれ』と催促するのが常だった。
その声はよく我が家にも聞こえてきて、
「あ、またピーちゃんが外に出たがってる」
と笑わせてもらうこともよくあった。

ピーちゃんは何故かウチの母が大好きだった。
奥さんと話をしていると、いつも喧しく鳴いて、『出してくれ、そこに行かせてくれ』とせがんだ。
奥さんが根負けして肩に乗せて出てくると、ピーちゃんは大喜びでジュクジュクとさえずりながら、母の肩に飛び移るのだった。
しかし残念なことに、ウチの母は鳥が苦手な人だった。なのでピーちゃんの激しすぎる愛をもて余し気味だった。
そんなことお構いなしに、ピーちゃんはいつも母の肩で機嫌よくしていた。

ある時、いつものように母の肩に乗ったピーちゃんは、面白いものを見つけた。母の首のイボである。
母は比較的若い頃から、首に沢山の小さなイボがあった。出かけるときは気にして、スカーフを巻いたりハイネックの服を着たりしていたのだが、気楽な近所の立ち話には全く無防備で、いつも家にいるような格好でいたから、首は丸出しになっていた。
ピーちゃんには、このイボがとても興味深かったらしい。嘴に挟んで引っ張ってみたり、つついてみたりし始めた。

イボと言っても当然神経が通っている。
「ちょっとちょっと、痛い痛い!ピーちゃんやめて、お願い」
母は半分泣きそうになって懇願したのだが、ピーちゃんは余程気に入ったのか、夢中でつつきまくった。
奥さんが何とか止めさせて家に戻したが、母は家に帰ってきても
「痛かったわあ」
と首筋を撫でて眉をしかめていた。

それからはピーちゃんはどんなにせがんでも、奥さんと母が喋っている時は出してもらえなくなってしまった。
悲しそうに、抗議するように鳴くその声を聞いていると、母は申し訳ないような気持ちになってしまった。そこで一旦家に帰り、首に小さなストールを巻いてきて、奥さんにピーちゃんを出してあげるように頼んだ。
ピーちゃんは喜び勇んで母の肩に乗った。イボで遊べないのはつまらなかったかもしれないが、母に相手をしてもらって、機嫌よく帰っていったらしい。
それから母はTさんと話す用事がある時は、必ずこのストールをしていくようになった。

ピーちゃんはその後、結構長生きしたと聞いているが、いつ頃までTさん宅にいたのかは知らない。
子供達は二人とも独立して、他所で所帯をもっている。
ご主人も随分お爺さんになられたが、お元気である。奥さんは相変わらず元気で、大きな声で近所で喋っているらしい。
でももう『出してくれ』とせがむピーちゃんの声が聞こえることはない。
「生き物は死ぬ時が辛いから、もうエエわ」
と奥さんは苦笑いしていたそうだ。

痛くて閉口した癖に、
「ピーちゃん、可愛い子やったねえ」
と今でも時々、母は懐かしそうに言うことがある。