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つい目尻を下げる

今住んでいる辺りは、近くにこじゃれた私学の小学校がいくつかある。電車だと三十分くらいで行けるそうで、小学生でもあまり負担にならない距離らしい。
殆どの子はすぐ近くの公立に通うが、ここはマンモス化が問題になっており、運動場にはプレハブ教室が立ち並んでいる。分校する案も市議会で真剣に議論されているらしいが、色々な問題が多すぎて、どうするか、未だにちゃんと決まっていないらしい。

この公立小学校にはないが、他の私学には大抵制服がある。
都会らしく垢ぬけた可愛らしいデザインのものが多く、ついつい目を引かれてしまう。
最近の小学生は、危機管理の観点からか、名札を着用していない。だからどこの学校の生徒かを判断するには、制服のデザインを覚えておいて、後で調べるしかない。
中に一人、ほぼ同じ場所で毎日出会う可愛らしい男の子(二年生くらいに見える)が居る。この子の制服があんまり洒落ているので、どこかなと思ったらなんと最寄駅から一時間以上かかる東京の小学校だった。中学高校は学業優秀で有名な学校のようだ。
さぞ通学が大変だろう、と同情を寄せたくなったのだが、颯爽と私の前を歩く小さな背中はとても元気で、全く疲れてはいないように見えた。

市内の北の方に建っているとある私学は、お嬢様学校として有名である。
ここの夏服が物凄く可愛らしい。清楚で、涼しげで、清潔感が溢れたワンピースである。学校の名前とピッタリな雰囲気の制服だと思う。
見かけると、ついつい目で追ってしまう。
揃いの帽子も雰囲気がとても合っていて、思わず微笑んでしまう愛らしさである。

私の母方の従姉妹は、あるミッション系の私学に通っていた。
ここにも可愛らしい制服があった。シックな濃い茶色で、ちょっと子供には地味な色だったが仕立てが良くて、私達姉妹もお下がりで普段に着ていたくらい丈夫だった。
私学の小学校の制服なんて縁がなかったから、これを着るとちょっとワクワクしたものだったが、従姉妹たちは
「こんな地味な茶色、着たくない。もっとカワイイ色だったら良かったのに。これを着ると自分が虫みたいな気持ちになる」
と言って、嫌がっていた。
可愛いけどな、毎日着ていると嫌になるのかしら、なんて思っていた。

私も田舎の公立小学校出身だから、制服なんてなかった。初めて制服を着たのは中学生になってからである。
今はブレザーが主流のようだが、その頃はセーラー服が多かった。私の中学校も夏、冬共にセーラー服だった。
セーラー服というのは見た目はカワイイが、夏は暑くても脱げないし、冬は寒くても重ね着がしにくい。最悪なのは冬から春になる時で、ちょっと暑い日には背中にべったりと貼り付く裏地が気持ち悪かった。ブレザーは上着で調節できるから、こっちの方が絶対に良いと思う。
スカーフの結び方も細かい規則があったが、当時はわざわざ結び目をへその辺りに作るのが何故か『不良』の条件になっていて、私も先輩に倣ってそうしていた。先生の決めた『正しいやり方』にささやかに反抗することで、小さな喜びを感じていたのだろう。今思うと微笑ましい。
当時の写真を見ると、『こんな不細工な結び方が格好良いと思っていたんだなあ』と笑いがこみあげる。

就職してからは大変オシャレな制服を着ていた。
渉外活動用に夏冬各二種類の制服が支給されていて、どれもカッコイイデザインだった。友人など、クロゼットに入れておいたら、制服と知らないお母さんが勝手に借りていって、慌てたことがあると言っていたくらいである。
退職する時には勿論クリーニングして返したが、あの制服は今どうなっているんだろう。
今は職種そのものがなくなっているし、『制服』も全社的に廃止の方向らしい。男性職員だけが私服で、女性職員だけが制服、というのも時代の流れに合わない、ということなのだろう。
機能的な上に素敵な制服だったから、ちょっと惜しい気もする。

今はトップスのブラウスと、その上から着けるエプロンのみが私の制服である。
もうデザインがどうとかはどうでも良くなっており、今の私の関心事は『いかに洗濯に耐え、いかに乾きが早く、アイロンが不要か』ということのみである。
どうもオバサン化しているように思う。いけない、いけない。

制服を着るのは面倒だけど、見るのはなんだか嬉しい。ハツラツとした気持ち、みたいなものを感じて、ワクワクする。相手が誰でも応援したくなる。
だからすれ違う制服姿の学生さんを見ると、つい目尻を下げてしまう私なのである。






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