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ただそれだけ

朝、開店前に売り場の掃除をすることは私の主な仕事の一つである。
床拭きは勿論、鏡、陳列棚などは開店後も暇を見つけてはこまめに拭くようにしている。正面玄関からすぐの売り場なので、人の出入りが多く、掃除してもすぐに埃が溜まってしまうからだ。
埃の溜まった陳列台なんて、商品を手に取る気になれない。棚拭き用の小さめのモップで出来るだけ丁寧に拭くことにしている。
ついでに商品の整理も一緒に行うのだが、この時残念な事態に出くわすことがちょこちょこある。

一番頻度が高いのはアクセサリー売り場だ。
バレッタやイヤリングの留め金具が壊されていたり、ついている筈の装飾用の石が片方だけ無くなっていたり、といったことがままあるのだ。ネックレスが切れたまま放置されて、周囲にビーズが散らばっていたなんてこともあった。
私は買ったことはないが、確かに高級品ではないから壊れやすいのかも知れない。しかしそれにしても、壊してしまった後、何も言わずに売り場にほったらかしてそのまま立ち去る神経が理解出来ない。
未だ嘗て『ごめんなさい、触ってたら壊してしまったの』とか『弁償します』『買い取ります』なんて言ってきた人には一人もお目にかかったことがない。なんだか悲しくなってしまう。
こう書くと、『子供の仕業じゃないの?』という声が聞こえてきそうだが、およそ子供が手の届かないようなところにある商品もやられている。子供の悪戯もないことはないだろうが、九割方大人の仕業に決まっている。
試着は衛生上の問題があるので禁止(ピアスなんて当たり前である)なのだが、こっそり着けてみたくなるのだろう。台紙にがっちり固定してあるのを無理に引きはがすからこうなるに違いない。
無残な姿でこっそり隠すように置かれている商品を見ると、朝から気持ちが萎える。おいおい頼むで、と溜息をつきたくなってしまう。

財布や鞄の場合は破壊まではされない。が、周囲の布を噛んだままファスナーを無理矢理閉めて立ち去る人はいる。時折布が破れてしまったり、ファスナーが壊れてしまう商品もでてくる。
帽子を試着して、ファンデーションを付けたまま立ち去る人。ハンカチやスカーフにアクセサリーか何かを引っ掛けて糸を出してしまい、そのまま置いていく人・・・
どれもごめん被りたい仕業である。

厚手の靴下を履いたまま細身のパンプスや、柔らかい皮製の紳士靴を試着し、そのまま放置して帰るのもやめて欲しい。
店ではパンプスの試着用に使い捨てのストッキングを常備している。勿論無料だ。パンプスの棚に『試着用のストッキングをお出ししますので、従業員にお声がけ下さい』と書いてもある。
紳士靴の棚にも、試着用の靴下を貸し出す旨、書いてある。だが借りにくる方はごく少数派だ。皆さん面倒なことはお嫌いらしい。
特に冬は厚手の靴下を履いている方が多いから、厄介である。この状態で試着した靴は幅が伸びたり、下手すると皺が寄って新品とは思えなくなってしまう。
特に本革は悲惨なことになる。売り物にならない。一旦伸びた皮は元には戻らないからだ。
ある意味、アクセサリーをぶっ壊して逃げる人より悪質かも知れない。

こういう商品の行く末は悲しい。
アクセサリーは百パーセント廃棄である。つまり店のまる損になる。あまり多いと店長から担当のYさんが
「商品管理を徹底するように」
とお叱りを受けてしまう。
糸がほつれた商品は、裁縫上手なYさんかIさんが綺麗に復活させることもあるが、途中で糸が切れているとこれも無理で、やっぱり廃棄対象になってしまう。
型崩れした靴は、酷い時は廃棄になる。イケそうかな、とういう時は半値以下で出すことになる。高級な本革の靴なんて、可哀想になってしまう。

考え過ぎかもしれないけれど、物には魂が宿っていると思う。
例え安物のイヤリングでも、誰にも着けてもらわないまま壊れるのは本望ではないだろう。
形あるものはいつか必ず壊れる。やってしまったことはしょうがない。
せめて一言、『ごめんなさい』の言葉があれば、こちらの気持ちも違うのになあ、といつも思ってしまう。
こういう商品を見つけると、売り場の皆さんは悔しがる。『また減耗(廃棄商品の伝票処理のこと)かあ。面倒くさいなあ』と担当の社員はげんなりする。
私はパートなのでそこまでは思わない。けれど、こっそり逃げるように立ち去るお客様のお気持ちは残念でしょうがない。
ただ、それだけである。