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果報は寝て待とう

大谷翔平選手が一日十時間睡眠を取るとかいう事が話題になっている。体力がなければそれだけ長い時間眠ることは不可能だろうから、彼ならさもありなん、と思える数値である。
彼が休めているのはきっと身体だけではないと思う。あれだけ色んな事に頭をフルに使っていれば、そっちの方にも休息は必要だろう。
やはり彼はプロ中のプロである、と感じるエピソードである。

頭の中に「べき」とか「ねば」が増殖してきそうな感じがしたり、身体がだるかったり、気分がくさくさしてどうも前向きになれない時、私は「潔く寝る」ことにしている。
場所はどこでも良い。最近は態勢に気を付けないと、目が覚めた時に身体がおかしなことになってしまう場合もあるので、若い時のようにそこらへんにゴロンと適当に転がる訳にはいかないが、椅子に座ったままでもいいので取り敢えず目を瞑って頭を空にする。
正に「頭を冷やす」のである。「眠る」ことを目標にはしない。

実は数年前まで、私は夜に熟睡できない人間だった。眠りが浅い上に、睡眠時間が極端に短い。その癖とんでもない所で爆睡して、周囲をびっくりさせていた。
運転免許更新の講習の時、一番前の席でグウグウ寝てしまい、教官に机を叩いて起こされたこともある。周囲の視線が痛かった。
大学生の時は語学のクラスの男子に「眠り姫」という有難いような有難くないようなあだ名をつけられるくらい、ずっと寝ていた。同じ大学に入学した妹が、たまたまその男子のいるサークルに入って苗字を告げると、
「眠り姫の妹かあ!姉ちゃん、なんでいつもあんなに寝てんねん?」
と笑われてしまい、
「恥ずかしいから授業中に寝んといて!」
と妹に注意されてしまったこともあった。

授業中に寝ようと思っていた訳ではない。抵抗できない睡魔に襲われてしまうので困っていた。今思えば貧血が酷かったことも原因の一つだと思うが、布団に入っても熟睡できないまま朝を迎え、通学や通勤の電車内、授業中も爆睡するのに、就寝する時は目が冴えている・・・といった妙な具合だった。降りる筈の駅を乗り過ごしてしまったことは、数えきれないくらいある。
結婚後も同じような具合で、夫には
「お前、ようそれで朝起きられるなあ。運転中に寝るなよ」
と呆れたり、心配したりされていた。
育児中は更に酷かった。慢性的寝不足状態だった。そのせいもあってか、よく体調を崩していた。肩こりなども酷く、「元気」と心から言えた記憶はない。

だが、母に対して積年の鬱屈した感情を思い切りぶつけた日、私は子供の時以来久しぶりに、ぐっすりと熟睡できた。目を覚ましたときのあの爽快感は、今でも忘れられない。
産み育ててもらった人に、これ以上ないくらいひどい言葉を投げ掛けた罪悪感とか、これから先の親子関係がどうなって行くのかとか、片付いていない自分の子供との確執とか、心に浮かんできた沢山のそう言うものを一切全部グーっと脇に寄せて、取り敢えず「一回休み」にしてみたのである。
「ジタバタしてみてもしょうがない。あれこれ悩んでいても、何も変わらない。だったら休もう」
すんなりとそう言う風に思えた。違和感なく自分を休憩させることが出来たのである。妙な言い方だが、「一仕事終えた」ような充足感がああり、身体も心も非常にリラックスしていたからだと思う。

そこからは全てが上手く回りだした。母との関係は徐々に至極普通の、対等なものになった。妙な自尊感情の裏返しだった罪悪感は、母への純粋で冷静な理解に変化した。
そうすると子供との確執は自然と溶けていった。そしてそれらの私の変化を目にした夫が変わり、夫婦の在り方が大きく変わった。
そして私達はやっと家族になることが出来た。

ちゃんとあの時、「全部放り出して取り敢えず寝る」ことに決めたのが、功を奏したのだと思っている。
心も身体も疲れてどうにもならない時は、取り敢えず何もかも放置して寝るに限る。寝りゃなんとかなる。
私の座右の銘である。