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素直でない彼女

私の知人の話である。
彼女は看護師をしている。それも一旦社会人になってから、学校に行きなおして取った資格である。最初は准看護師で、今は正看護師を目指して猛勉強中だ。子供を自分一人で育てる為のやむを得ない選択だったとはいえ、頭が下がる思いである。
ところが彼女はこちらが感心したように「凄いね」というと、
「凄くなんかないよ」
と言っていつも眉を顰める。
なので最近は
「身体を大事にね」
というだけにしているのだが、それでも
「死ぬほど丈夫やから心配いらんよ」
とムッとした顔をする。ありがとう、とは絶対に言わない。

そんな時、私の思いに『情をかけてやる』的な上から目線を感じるのかな、と思い、そんなつもりはないけれど失礼だったかな、とふっと気後れするのであるが、どうも彼女は誰に対してもそういう感じなようだ。
たった一人の娘に対しても同様なようで、最近娘と大喧嘩して娘は元夫のところに滞在中であるという。
「あのバカ」
と彼女は激しく罵るのであるが、私には磁石の同じ極同士が反目しているように思えてならない。たまに耳にする娘さんの様子は、彼女そのものだったからである。
そして彼女の罵りの中に、どうしようもなく深い娘への愛情と、振り向いてもらえない寂しさと、分かり合えないじれったっさをひしひしと感じている。
そこに少しの子育ての後悔が混じっていることも。

素直でないことは悲しいことであるが、それが彼女なのだからしょうがない。生まれ持った気質と、彼女の育った環境が彼女をそのように作ったのだから、今更どうしようもない。
素直な気質が良くて、素直でない気質が良くない、なんてのも世間の勝手な決めつけである。しかし誰よりも彼女自身が、自分が素直でないことにうっすら引け目を感じているように見える。
理解者は圧倒的に少なくなるだろうが、そういう生き方を選んだのは彼女なのだから、そういう子なのだ、とこちらは多少の諦めをもって接していくしかない。だから何も言わず、ただ黙って見ているし、それしか出来ない。
娘さんも多分、彼女と同じような荒波をこれからいくつも超えていくのだろう。そしてやっぱり、少ないけれど理解してくれる人を得ていくのだろう。それはそれで、幸せなことではある。

こういう人を応援するのは難しい。こちらの気持ちを受け取ってもらえないからである。
ただ、見守る。時々話を聞く。伝え聞く話から彼女の気持ちを想像する。
的外れな推察はしていないつもりだが、私の考えていることは彼女の心中とピッタリ一緒ではなかろう。だから最近は、的を外していても良い、と割り切ることにしている。
ただ彼女の身に思いを馳せる。
娘とは仲直りしたろうか。まあ簡単にはいかないだろうな。身体、無理してないかな。確かにインフルエンザで学級閉鎖になっても、平気でピンピンしてた彼女だったけれど、今は年齢がそうはさせないよ。人間の身体ってサイボーグじゃないんだからねえ。適度に労わらないと。
でも聞く耳は持たないんだろうな。へたばったらなんか言ってくるだろうから、それまで待つことにするか。
この程度である。

彼女への労りに労わった本人の自己陶酔を感じると、彼女は途端に心の扉を閉ざす。そんなシーンを何度も見てきた。
彼女は自分を本当に思ってくれる人を渇望している。その事実は彼女が自分を大切に思うことができない事を如実に示している。
スパルタで厳しすぎる父親と、自活できない甘ちゃんの母親に育てられた彼女の胸に吹き荒れる、乾いた風の音が聴こえるようだ。
彼女はどうしようもなく孤独だが、断じてそれを認めない。認めたら自分が崩壊してしまうことをよく知っているからだろう。

なよなよしたお涙頂戴の、外側ばかり美しい思いやりは彼女には不要なのだ。それを心でバカにしながらサラリと受け流すほど、彼女は強くない。
だからただ、応援する気持ちで見守る。
私はいつでもここにいるよ、と思いながら。