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VS天邪鬼

前の楽団の三人目の音楽監督のS先生は本当に天邪鬼で、気分屋で大変だった。ああ言えばこう言う。投げられた球は必ず予想外の方向に打ち返さねば気が済まない人で、周囲は気苦労が絶えなかった。
芸術家だから気難しいのかな、と思ったが、それまでの先生方も皆芸術家である。こんなしんどさは味わったことはなかった。なんでやねん、と言い返したいがみんなが不満そうにすると二言目には「音楽監督の言うことが聞けないのか」みたいなことを宣うので、非常にやりづらく、怨嗟の声は日増しに増えていった。

私はインスペクターと言って、楽団員と指揮者の間を繋ぐ調整役のようなものを長く務めていた。他の先生方もそれぞれに気難しい面やこだわりはお持ちで、なかなかしんどいこともあったが、やはり一芸に秀でた人は人間的に素晴らしい面を多くお持ちで、こんな素晴らしい方々と直接やりとりさせて頂けるなんて幸せだなあ、音楽をやっていて良かったと思わされることが多かった。が、S先生の時だけは楽団運営に不満いっぱいの先生と、S先生に不満いっぱいの楽団員の板挟みになって、かなりの重圧を感じていた。

S先生は電話攻撃が凄かった。
時間も自分の本番が済んでからだから、夜遅い。しかも長い。時間などお構いなしに、滔々と運営に関する持論を展開する。いつも大体三時間に及んだ。一度など温厚な夫が、
「家庭がありますって言え!」
と怒ったくらいであった。
でもそう言っても多分、
「家庭人でも楽団の一役員である以上、音楽監督の要請にはいつでも対応するべき」
としれっと仰ったことだろう。

人間、相手を変えるのは無理である。他の役員は皆、自分に矢が飛んでくるのを恐れて縮こまっている。
で、私なりに策を講ずることにした。

電話をかける前には「何時にかけます」と必ずメールを下さるので、その前に全ての家事と翌日の用意を済ませて布団を敷き、もぐりこんでから電話を受けるようにしていた。これだと電話を切ってすぐ電気を消して床に就けるので、睡眠不足が解消した。

またS先生は自分の言ったことを都合よく、
「そんなこと言ってない」
と後から平気でひっくり返す人でもあった。しかも本気で悪気なくそう信じているようだったので、下手をするとこっちが嘘つきにされてしまう。音楽の解釈や指導の方針ならそういうこともあり得るが、運営に関することでそうコロコロ意見を変えられては、役員は右往左往してしまう。
そこで電話の際にはこまめにメモを取り、切る前にいちいち復唱して確認をし、日付を記入してまとめておいた。
次の電話や会議の際に、
「私はそんなこと言ってない」
と仰ろうものなら、
「いえ、先生、〇月〇日の電話の際にこのように仰ってました。記録しております。ご確認されますか」
と言い返していた。
私は至極真面目にやっていたつもりだったのだが、他の役員は皆腹を抱えて笑っていた。どうしてかしら。
引継ぎの際に次のインスペクターにコツを伝授したら、
「真似できん」
と大笑いで感心された。

なんでそんなにコロコロ意見が変わるのか、と言うと自分の考えがないから、としか言いようがない。要は人の言った意見に対して「それはおかしい」と異を唱えることしかできないのだ。
自分で考えた意見があれば、相手の意見にも耳を傾けようという気になるものだ。たとえそれが自分よりはるかに音楽のことに疎い素人であっても、彼らなりにこう考えているのだな、と思って聞くことくらいは出来る筈である。
確かに忍耐の必要な作業だろう。が、それができる人が「先生」と呼ばれる資格のある人なのだと思うのは、厚かましい考えだろうか。

後から考えれば、それまでの先生方にも随分失礼なことを言ったりしたりしてきたと思う。時間が巻き戻せるなら違うやり方で接したい、と思うし、無知だったとは言え、先先方も本当によく我慢して下さったなあ、と感謝の念に堪えない。
だがそれは素人故の先生方への甘えだったと言えばそうも言える。
いい加減、甘えるな。自立しろ。S先生はそう言いたかったのかも知れない。それも指導だと、今なら思える。

退団の時S先生に挨拶したら、
「色々ありがとう。お世話になりました」
と深々と頭を下げられて恐縮した。それまでの先生との確執が全て洗い流されたような気がした。なんだか拍子抜けして、そしてほっとした。

理不尽さに振り回されて大変ではあったが、どんな人とのどんな出会いも、自分の人生を形作る大切なパーツなのだと、今はそう思える。
どんな人との出会いからも、学びはある。