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似てる?

先日姑と電話で喋っていたら、
「あんた、私大谷翔平君好きやねんけどなあ、なんや誰かに似てんなあと思って見たら、ようよう考えたら○○君(我が息子の名)やったわあ。そう思わへんか?」
と言われて目が点になってしまった。共通点は童顔であることくらいだと思うのだが・・・。
「お母さん、ちょっと美化し過ぎとちゃいますか?」
と言ったが、
「いや、よう似てるえ」
姑は悦に入っている。孫可愛さに目がくらんでいるのだとは思ったが、水を差すのも悪いと思ったので、曖昧にぼかしておいた。

息子は夫とそっくりである。
小さい頃、スーパーで迷子になった息子を夫が探していたら、見知らぬ人が
「あれが僕のお父さんやろ?」
と言いながら、息子の手を引いて連れてきてくれたことがあった。
夫の子供時代の写真を見た時、「なぜウチの子のセピア色の写真があるのか?」と真剣に思ってしまったこともある。
そういう夫は姑に似ている。夫は「似ていない」とムキになって否定するが、とても似ている。
と言うことは姑の言に従うと、姑は大谷翔平君に似ていることになる。やっぱり絶対違うと思う。

昔サッカーの日本代表監督をしたフィリップ・トルシエ氏が、何かの機会に記者会見をしている様子を中継映像で観た時、
「あれ?夫やん」
と思うくらい、よく似ていた。帰宅した夫に
「あんたって、トルシエに似てるよね」
と言ったら、
「今日それ言われんの、お前で四人目や」
とウンザリしていた。
少し受け口で唇が薄く、色白で髭が濃い。ホームベース型の輪郭で、鼻筋が細い。共通点をまじまじ探してみるとそんなところだろうか。
しかし、息子はトルシエ氏には似ていない。大谷翔平君も年を取ればトルシエ氏みたいになるのだろうか。姑もトルシエ氏に似ているということか?最早訳が分からない。

昔の職場の同僚で、歌手の杏里にとても似ている子がいた。会う人ごとに
「杏里に似てますね」
と言われるので、とうとう初対面の人には自己紹介の時に、
「『杏里に似てる』ってよく言われます」
と言うことにした、と言っていた。が、本人の胸中は複雑だったようで、
「杏里ってさ、歌上手いけど美人って顔じゃなないよね?歌をうたって『杏里みたい』って言われたら誉め言葉やと思うけど、顔だけって微妙やと思わへん?」
とつまらなさそうに言っていた。なんとも返事のしようがなかった。

私はと言えば、小学生の頃同じクラスの子によく
「高田みづえに似てる」
と言われた。私が「杏里に似てる」と言われた子の気持ちがわかったのは、この経験があったからだ。今や元相撲取りの若島津関(荒磯親方)の奥様という素敵な方であるが、失礼ながらお世辞にも『美人』という形容詞は似合わない女性である。
その後私が「似てますね」と言われた人は、国生さゆり、風吹ジュン、宮本信子、江川紹子(敬称略)・・・等だ。美人もあり、全然違うと思われる方もあるが、これらの方々全ての共通点は皆無だと思われる。

「飼っている犬が飼い主に似てくる」とか言うのも聞いたことがある。
実際に、散歩させている姿を正面から見ると吹き出したくなるような一人と一匹を見かけるケースも少なくない。
犬には人間のような眉はないし、鼻の形も耳の付き方も頭の形もまるで違う。なのに何故「似ている」と感じられるのだろうと不思議に思う。

「似ている」ってどういうことなのだろう。犬の例からわかるように、必ずしも顔のパーツや造りが近い感じを受ける、ということでもなさそうだ。
「まとっている雰囲気」とか「ちょっとした表情」などに、見た人が「なんとなく共通点が見出される」と感じる、というのが「似ている」ということなのかなあ、とぼんやり思っている。他人の感じ方なんて、所詮いい加減なもののようだ。

それでも感じの良い人に「似てますね」と言われると嬉しい。逆は悲しい。「似てないよ」と否定したくなる。
まあ誰に似ていようと「自分は自分」なのだけれど。