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『お前』

先日とある人から夫に何と呼ばれているかと聞かれ、
「『お前』か『おい』とか『なあ』ですかねえ」
と言ったら、
「それはいかん!やめさせないと!」
と気色ばむので訳を尋ねると、
「夫婦は対等な関係のはずやのに、上司と部下みたいになっとるやんか」
という。
そうなんだろうか、と首を傾げた。
私のジェンダーに対する問題意識が低すぎるのだろうか。

私は夫に名前で呼ばれたことが結婚以来一度もない。呼んで欲しいと思ったこともない。考えてみれば不思議なことである。

私の名前はそのまま呼ぶとちょっと響きがキツイ。母も私の名前には”ちゃん”を付けないと呼びづらい、と言っていた。
父は『お姉さん』と呼ぶことが多かった。妹から見てのお姉さんだからそうなったのだろう。だが名前をそのまま呼ばれることもあった。父は抵抗がなかったようだ。

私からみて、夫は謙虚からは程遠い所にいるが、尊大な人間ではない。
他人の心の機微には異常に疎いし、無神経ととられかねない言動をすることもままあるが、他意はない。ちょっと変わっているが、裏のない人である。
誰かを見下したり、悪口を言ったりするのは最も嫌う。そういう行為を見聞きするのも嫌う。
上司と部下なんて感じたこともない。また、夫に聞いてみたことはないが、そんな風に思っているとも思えない。もしそういう風に思っていたとしたら、正直な夫のことだからきっと態度に出るに決まっている。
心と裏腹の行動をするなんて器用なことは、夫にはできない。

そういう私が夫を何と呼ぶかというと、『あんた』である。
『あんた』は『あなた』の変化した言葉だろう。特に何も考えずに呼んでいたが、ちょっと乱暴かもしれない。聞きようによっては、私が上司で夫が部下のようである。これはいけない。

演歌などで女性に向かって男性が『お前』と呼びかける歌詞は数多ある。演歌に詳しいわけではないので、全部がそうかどうかわからないが、大抵は愛しい人に向けての呼びかけである。
この場合の『お前』には男性側の独占欲を満たす響きがある。
「この人を『お前』なんてぶっきらぼうに呼んで良いのは俺だけなんだぞ」と周囲に顕示する為の呼称、といったところだろうか。
同時に女性側も
「私を『お前』と乱暴に呼んで良いのはこの人だけ」
とぞんざいな呼び方を一名限定で承認することで、二人の結びつきの強さを周囲にアピールして満足しているのだと思う。
架空の世界だから殊更強調しているのだろうが、現実の男女の世界にもこういう心理は少なからずあるだろう。

夫には私に対する独占欲なんて微塵も感じられない。
私はもういい年齢であるし、美魔女でもない。幸か不幸か”独占してますアピール”をしなくても、誰にも取られる心配はない。私ももうそんな面倒くさいあれこれは考えられない。だからないに決まっている。

呼び方なんてどうでもいいと思う。
『お前』と呼ばれても、自分が卑屈になったり、私は独占されてる女、と馬鹿みたいに浮かれたりしなければ良いだけだ。
要は呼ばれた方の心の問題である。

「お前、これいくつ食べた?」
あといくつ食べられるか、頂き物のお菓子の個数を夫が私に確認してきた。
上司も部下も、独占欲もへったくれもあったもんじゃない。
タイムリー過ぎて吹き出してしまった。

時代錯誤な呼び方なのかもしれないが、私はこれからも『お前』で良い。