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母娘漫才

今週の前半は姑をめぐるドタバタで明け暮れた。
姑は洗濯のやりすぎで腰椎を圧迫骨折し、絶対安静を申し渡されたにもかかわらず、まだ家事をしようとし、更に腰を痛めていた。
私は水曜日に整形外科に行く姑に朝から付き添う予定で、火曜日に仕事を済ませてから関西に向かった。姑の家からそう遠くない所に宿を取り、夕飯を済ませてさあ風呂でも入ろうと湯をはり終えた瞬間、姉から電話がかかってきた。
「電話で痛くて死にそうや、って叫んでる。私今すぐはよう行かんので、ミツルさん悪いけど先行って様子見て、酷そうやったら救急車呼んでくれへん?」
急なことに驚いたが、姉の切迫した様子に弾かれたように私は宿を飛び出し、タクシーで姑宅に向かった。

「お母さん!大丈夫ですか?!」
慌てて私が玄関から部屋に駆け上がると、姑はベッドに寝ていた。私が行く事は知らせていなかったので、驚いた様子で
「あれ?ミツルさん?来てくれたん?」
と目を見開いた。
私が姑に会うのは正月以来である。年相応なのだろうが、髪は少なくなりもう真っ白だ。随分痩せたなあ、と少し寂しくなった。
「どうですか?救急行きますか?」
私が聞くと、
「いや、そこまでやあれへんね。痛うて痛うて、トイレに立ちたいのに立たれへんだけや」
と言う。
そういう割には、食事を自ら作って食べた形跡もある。声も死にそうな人のそれではない。顔色も悪くない。死ぬ程痛いのなら普通、声も出せずにぐったりしていても可笑しくないと思うのだが、姑はずっと元気に喋っている。うーん。
救急車は必要なさそうだった。
『多分救急車要りません』
心配しているであろう姉に短いLINEを送ると、
『やっぱりか。ありがとう』
という返信がすぐに来た。ほどなく姉も到着し、具合を尋ねるが同じ繰り言の繰り返しで埒が明かない。

ようやく立ち上がり、トイレに行くというので姉と二人で支えようとすると、
「絶対要らん。行ける」
と言って手を振り払う。こわごわついていくと、なんとか便座に座れたようでホッと安心する。

翌日の段取りを姉と打ち合わせている間に、姑はベッドに帰って子供のようにグウグウいびきをかいて寝てしまった。
寝顔を姉と二人で覗き込む。顔を見合わせてどちらからともなくプッと吹き出した。不安で誰かに側にいてほしかったようだった。

翌日、昨日の事もあったし、と打ち合わせた時間より一時間早く宿を出た。あまり早く行くと『お客さん』扱いで疲れさせてはいけないし、コーヒーでも飲んで時間潰しをしようと近所のコメダ珈琲に入った。
メニュー表を開いた瞬間、姉からまた電話が来た。
「痛くて医者行きたくない、って叫んでる。ごめんやけど見てきて。私もすぐ行くし」
私はコメダの店員に断って店を出て、姑宅に駆け込んだ。

痛いのは本当らしかったが、相変わらずずっと喋っている。ただ寝たり起きたりはかなりしづらそうだ。
『動かすのは無理かもです。でも元気に喋ってはります』
姉にLINEを入れる。
『了解。もう着くわ』
姉からため息が聞こえそうな返信が来た。

姉と二人で話した結果、素人が動かすのは無理だろうと言う事になった。介護タクシーも考えたが、玄関の段差が無理だと言うことになり、病院に聞くと救急車で搬送してくれという指示を受けた。
二人でわあわあやっている間にふと見ると、姑が化粧をしようとしている。
「お母さん、救急車は化粧した人なんか乗せてくれませんよ」
私が言うと、
「いや、そうやろか。このまま行くなんて恥ずかしいわあ」
と頬に両手をやる。やっぱり乙女である。私は笑えるが、姉はブチ切れる。無理もない。
「どこに救急車乗るために化粧する病人がいてんねん!」
姑にプリプリ怒っている。だが姑にはカエルの面に水、である。
「化粧はしたら乗せてもらえへんのやな。ほんならせめて服着替えんと」
私は吹き出してしまった。
「お母さん、着飾っておめかしして救急車乗るんです?」
私はもう笑いが止まらないが、姉は
「アンタは"死ぬ死ぬ詐欺"や!世の中救急車足りひんのに、バチ当たんで!」
と激怒りである。
いちいちもっともであるが、姉と母のやり取りが漫才みたいで、私は救急車の中まで笑っていた。

男前の若い救急救命士さん3人に座った状態のままぶら下げてもらうようにして、姑はおとなしく救急車に乗った。近所の人が何事かと出てくる。
やがて救急車はサイレンを鳴らして走り出した。大通りを爆走していく。
「こんな元気なおばあさんの為に交通止めて、申し訳ないわ」
姉が呟く。本当にそう思う。
姑は観念したのか、緊張しているのか、黙っていた。
病院についてすぐ導尿してもらい、トイレに起きなくても良くなった姑は、心から安堵した顔をしていた。不安だったのだな、と思うとちょっとかわいそうだった。

姑は一月ほど入院する事になった。姉も少しの間休めるだろう。
帰りの新幹線に飛び乗って席に座ると、姑の為にも姉の為にも取り敢えず良かった、と胸をなでおろした。