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ときめく基準

家の中が散らかっていると落ち着かない性分である。使った物は元の場所に戻すのが、究極の整理整頓であると思っている。
これはもういいや、と物を見切るのが早い。断捨離好きで、よく定期的に行っている。やるとすっきりして、肩こりが軽くなるような気がする。

こんな私と正反対の立ち位置に居るのが我が夫である。購入した物の箱や容器はおろかクッション材ですら、「要るから置いといて!」と言う。勝手に処分すると猛烈に怒る。即座に潰してゴミ箱に直行させる私からは、考えられない感性の持ち主だ。

今日は部屋を整理するぞ!と珍しく張り切って自室に籠っても、30分もすると軽快なジャズが聴こえてくる。そっと覗くと、鼻歌を歌いながら楽しそうにCDジャケットを眺めている。夫の座り込んでいる周囲には、私にはゴミの山にしか見えないブツが足の踏み場もないほど散らかっている。
朝から籠って一日が終わる頃に、ほら、スッキリしたぞ!と言って自慢げに部屋を見せてくれるのだが、私の目には右にあった物が左に移動しただけにしか見えない。第一、ゴミが殆ど出なかったよ、というのだ。どう見てもゴミだらけにしか見えないのに。
でも本人は鼻の穴を膨らませて至極満足の体なので、そういう時はお疲れ様、と微笑んであげる事にしている。
結婚当初からしばらくは呆れたし腹も立ったが、もう諦めた。こういう人なのだ。

「子供の頃から『机の周りにいつも何か落ちています』と学校の先生からしょっちゅう注意された。何度言っても治らなかった」と姑が嘆いていたから、もしかしたら生まれつきそういう気質なのかも知れない。診断がつくとすれば、多分ADHD的な何かなのだろう。だからって何とも思わない。私にとってはあくまでも、そういう傾向がある人、というだけだし、夫本人は全く問題にしている様子がない。

普段は私がゴミを片付けておれば、埋もれる事はなく無事に暮らせるのであるが、困るのは引っ越しの時である。家全体の荷物の半分以上を夫の持ち物が占める。なのに我が家はあろうことか転勤族である。
オマケに夫は単身赴任を超絶嫌い、絶対にしないという人だ。事情を知らない知人達は、この夫の意見を聞くと決まって、まあ愛されてるのね、いつまでもラブラブで羨ましい、と言う。しかし本当は私というお掃除おばさんが居ないと、住まいがゴミ屋敷になってしまう事を危惧しての発言なのではないか?なんて秘かに疑っている。

前々回の引っ越しで懲りたので、前回は早めに大物家具を処分し、子供部屋の本を全て寄贈し、人形は供養し、自分のCDを売り払い…といった具合に、私は着々と夫の物以外を処分して、家のスペースを空けていった。夫はその度に「向こうに持っていったら置けるのに」「俺もCD聴きたかったのに」等といちゃもんをつけるのであるが、いちいち反応していたら身が持たない。そうね、だけど少しでも広い方が良いしね、まだ残してるCDもあるからね、と軽く夫をいなしつつ、粛々と処分を進めた。

オレの部屋は触らないように、自分で荷造りするから、とのお達しが夫から出ていた。でも直前の休日も、荷造りに勤しむ私を尻目に、山登りに行ったり、写真を取りに行ったりして日がな一日遊んでいる。これも前々回と同じだ。引っ越し日が目の前にも関わらず、普段通りの夫の部屋。当日はさぞ大変だろうと覚悟した。

案の定前々回に引き続き、前回の引っ越しも、業者さんも驚く大変さとなった。冷蔵庫やサイドボード等の大物も含めて、夫の部屋以外の荷物の搬出は2時間もかからなかった。しかし、夫の6畳程の部屋の荷物を全て運び出すのに、同じだけの時間を要した。
本、本、本。小物は車関連、鉄道関連、飛行機関連、無線関連、山岳関連、パソコン関連、カメラ関連、音楽関連…運んでも運んでも、次々に出てくる。汗を流して必死で時間を気にしながら運んでくれる業者さんを横目に、のんびりと箱詰めしている夫の神経は、最早理解不能だと思ったが、本人曰くは「必死」だったそうだ。笑える。

新居への運び入れも同じく大変で、屈強な業者さんの疲労困憊ぶりに、流石の夫も反省した、と言っていた。これは期待できるだろうか?と思っていたら、『人生がときめく片付けの魔法』(サンマーク出版)という近藤麻理恵さんの本を買って(これで更に本を増やしたという事に夫は気づいているのか疑問)読んでいた。欲を言えばKindleにして欲しかったが、100歩譲って良い傾向だと思っていた。

が、
「オレは全部にときめくんや!」
と言うのが読後の夫の感想であった。通販のパッケージにも、『ときめく』らしい。ええ、そうでしょうとも。全部取っておおきなさい。ご自由になさって下さい。もう良いです。期待し過ぎなくて良かったですよ。

次の引っ越しまでに、夫のときめきの基準がほんの少しでも上がってくれる事を虚しく祈りながら、整理収納アドバイザーの資格でも取ろうかと真剣に考えている今日この頃である。