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姑の教育効果

夫は何故か『何とかなってしまう人』である。本人も自認している。
中学生の時自転車で走行中、出会い頭に車にはねられたことがある。自転車は大破した。姑が青くなって病院に駆けつけると、
「ボンネットに乗ったから、大した怪我してへん」
とかすり傷一つ負わず、平気な顔でうそぶいたそうである。
姑が、
「だから気ィつけてや、って言うてるのに、あんたは!!」
と怒ると、
「オレは怪我なんかしいひん。大丈夫や。心配し過ぎや」
と逆にプンプンしていたという。
夫らしい。三つ子の魂百まで、とはよく言ったものだ。

何か会社に提出しなければならない書類などの期限が目前になり、
「これ、〇日提出やった。また書いといて」
と全く記入していない真っ白な書類を出してくることもままある。
「わあ、どうすんの!?間に合わへんやん!」
と私が焦っても、
「大丈夫や。なんとかなる。お前は騒ぎ過ぎ」
とへっちゃらな顔をして、逆にこちらが怒られるから始末が悪い。
あんなこと言って、きっと総務係の人に怒られるか、「もう受付できません」と突っぱねられて青くなるか、どっちかじゃないと良いけど、と思いつつ、出勤していく夫をため息混じりに送り出すのであるが、大抵は帰ってくると、
「待ってくれることになった」
とか、
「△日までやったら間に合うらしい」
と平然と報告してくれる。それも私が
「あれ、大丈夫やったん?」
と訊いたら、の話である。訊くまでそんな話はなかったかのような顔をして平気でくつろいでいる。
こっちは綱渡りする気分でハラハラと待っているのに、夫は全くの平常心である。少しも焦っていない。ちょっと小憎らしくなってしまうが、結婚以来ありとあらゆることがずっとこの調子なので、もう慣れてしまった。

姑は色々と先回りしてキイキイ心配して細々と口を出す、厳しく神経質な母親だったらしい。子供時代の夫は分かりやすく神経質で、チック症状もある子供だったという。
「こうしておかないと、後で大変な目にあうよ」
という姑の『脅し文句』に幼い夫は怯え、追い立てられるように言う事を忠実に守っていたらしい。が、大きくなり自我が育つにつれ、
「おかんの言う通りにせんでも、別にそんな恐ろしいことにはならんのじゃね?」
という気持ちが心の中に芽生えたようだ。それがいつ、どのようなきっかけだったのかはわからないが、姑の行き過ぎた心配と先回りは夫を逆に
「やっぱりオレはオレの考えた通りに行動すれば上手く行くんや」
という風に考える人間に育ててしまったのだろう。
ある意味、困った事である。

しかし夫は時折『なぜそんなことに焦るのかな』と思うようなことに焦る。
退職再雇用に伴い、保険証が切り替えになった。従前の保険証は使えなくなるが、使ってもちゃんと請求は来る。新しいものに切り替えた方が良いのは良いが、やむを得ない事情で切り替えが遅れても問題はない。新保険証交付の添付文書にちゃんとそう書いてある。なのに、
「お前、この前歯医者行ったよな。大丈夫かな」
「○○(息子)は病院行ってへんかな」
とソワソワしている。私には杞憂そのものにしか思えないのだが、真剣に心配しているのでおかしくなってしまう。
「大丈夫って書いてあるやん」
というと
「そうやんな、どもあらへんな、大丈夫やんな」
と自らに言い聞かせるようにブツブツ言っている。
公的書類の提出が遅れても平気な人が、『大丈夫です』と書いてあることを酷く心配するのは、非常にちぐはぐな感じがする。姑の教育効果はこんな変な所に出ているようだ。

夫は私に
「お前って気の長い所があるよな」
と言う。せっかちの私にこんな事を言うのはこの人だけだ。
元々の気が長いわけではないと思う。この人と連れ添う時間が長くなるにつれ、
「まあなんとかなるやろ」
というシーンがあまりに多すぎて、こうなってしまったのだと思う。
引っ越す家を決めるのもギリギリだったけど、とても快適な家に住んでいる。息子を東京にやるのも、合格してから本当に短期間で決めた、ちょっと勇気の要る決断だったけれど、今彼は生き生きとした学生生活を送っている。親のことも、ギリギリで素晴らしいケアマネさんとの出会いがあり、今のところなんとかなっている。
結果的に、全てが私達家族にとってとてもいい方向に進んでいる。だから心配なんてしてもしなくても同じやん、と思えるようになったのだ。
姑の教育は、案外悪くなかったのかも知れない。