見出し画像

偶然よありがとう

土曜の晩は六時から九時まで、日曜は朝九時から夕方五時まで、ずっと練習だった。加えて日曜の練習終了後には新入団員の歓迎会があり、本当に久しぶりに大勢で一緒にワイワイと騒いだ。
一年半ほど前には歓迎される側だったのに、いつの間にかする側になってしまった。あの頃はまだコロナの真っ最中で、団活動もいつ休止状態になるかわからず、綱渡りでおっかなびっくりだったから、勿論飲み会なんて皆無だった。同じころに入団した四人と、「やっとこういうことが出来るようになって良かったねえ」と笑い合った。
コロナが明けてから、新入団員の増え方が凄まじい。昨日は木管と打楽器が合同でやったのだが、全部合わせて十一人の方を歓迎することが出来た。喜ばしいことで、団長も音楽監督もホクホクしている。

昨日の参加者は三十七名。多くの人と喋りながら、一年半前にはこの人達の顔も知らなかったのに、今こうやって飲みながら笑い合っているということが不思議な感じがした。
自分でコントロールしたのはどの楽団でどの楽器をやるか、ということだけである。関東に来ることは随分前に決まっていたけれども、その時は住むところがどこになるかは決まっていなかった。
何もかも、偶然の産物である。

思えば生まれてこの方、沢山の人に出会ってきた。
初めて会うのは両親。祖父母。妹。親戚。近所の友達。学校の先生や同級生、先輩。アルバイト先の社員、仲間。職場の上司、先輩、同期、後輩。夫。子供。子供の友人繋がりの先生やお母さん達。クラリネットの師匠。楽器屋さん。引っ越す度の近所の人達。それぞれの楽団での指導者、団員・・・。
どれも自分でその人との出会いを「選ぼう」と思って選んだわけではないのに、私はそれらの人々から沢山の幸せを頂いてきたなあ、と思う。衝突した人もあれば、二度と会いたくない、と思った人もいるが、渦中にいる時は本当に嫌だと思っていても、後から振り返って考えれば「あの時こうできたかも知れないな」とか「あの時はあの人はああするしかなかったのだな」と、大袈裟な言い方かもしれないが自省を深めることが出来、結果的に私にとって必要な出会いだったんだなあ、と思うようになっている。

私は今まで出会った人によって、「私」になったのだと思う。人との出会いはあまりにも日常的で、当たり前で、ついついその有難みを忘れてしまいそうになるが、それらの人々が誰一人欠けても私は今の「私」ではなかった。今も毎日沢山の人との出会いがある。なんて有難いことかと思う。そして人間の運命ってなんて不思議なものなんだろう、とも思う。
若い頃はただ日々を生きることに夢中で、こういう風に振り返って考えることは思いつかなかった。そう思うと、今の年齢になったことも有難い。

昨日も
「もうずっと関東に住んじゃえば?」
という言葉を何人かからかけて頂いた。もともと決まった自分たちの家はないし、両親ともきっとそう遠くないうちに永遠の別れをしなければならなくなるだろうから、どこに住むかという制限はきっとなくなる。関東に住むのだって可能になる。
最近まで関西に「帰る」気満々だったが、今ちょっと揺らいでいる。私にとって居心地のいい空間はどこなのかなあ、と再び考えるようになった。
「居心地」には住環境の他に、出会う「人」が大いに関係するように思う。関東の「人」にも案外馴染めそう、という思いが最近出てきたのだろう。
こっちに来た頃は関西弁が懐かしかったけど、最近は関東弁にも慣れてきた。自分で使うことはないが、耳が拒絶反応を示さなくなった。そうしたらこの地がぐっと身近になったような気がしてきた。
「馴染む」とはこういう感覚のことを言うのだろうと思う。

選んだわけではないのに、私は幸せな出会いを日々頂いている。それらの出会いは全部私の誕生からずっと一本の糸でつながっている。
沢山の運命の偶然に感謝、である。