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「全力人生・感謝」

こんにちは。

今シーズン城西大学体育会サッカー部、主将を務めました冨田颯です。

日頃より城西大学体育会サッカー部への多大なご支援、ご声援、誠にありがとうございます。

これからも城西大学体育会サッカー部をどうぞよろしくお願い致します。



最後なので素直な気持ち、全部書こうと思います。
拙い文章ですが最後まで読んで頂けたら嬉しいです。



本題に入ります。



とうとう引退ブログを書くことになってしまったか。
毎年引退する四年生があっという間の大学生活だったと言っていた意味がようやく分かった。
それと同時にこれまでの先輩方の偉大さが身に沁みて分かった。
嬉しいような、悲しいような、複雑な気持ちである。



でもやはり1番の気持ちは、



「あぁ、やっと終わった。」
これが今の本心である。



18年間のサッカー人生が終わった。



自分のサッカー人生と向き合うことも今後ないと思うので少しここに書き留めながら振り返っておこうか。



サッカーを始めたのは幼稚園の時、サッカー教室にいた先生(現ダイナモ川越FC監督)に憧れて蓮(双子)と入った。
最初は2人しかいなくてただひたすら、がむしゃらにボールを追いかけていた。
そしてここで人生の半分以上を共にする今野竜聖(4年/保善)とも出逢い、高学年になるとサッカーを本気でやるようになり、埼玉県で3位と中々な結果を残した。



この時の蓮(双子)は本当に凄くて、おそらく頭のネジが1つや2つ外れていました。(良い意味で)
ゲボを吐きながらグランドを走り回り、攻撃も守備も全部1人でできる奴でした。
試合中には何度も2人で言い合いをして、周りのみんなが止めてくたりもしてたな。笑



そんな蓮をスカウトをしにアルディージャの方が試合を観戦しにきた時にたまたま自分のプレーが良くて練習会に呼ばれ、そこで大宮アルディージャへの入団が決まった。
ちなみに蓮は色々なJクラブのオファーの中から浦和レッズへ。
人生何があるか分からないとはこのことだ。



アルディージャに入ってからはひたすらパス練習をして頭がパンクしそうになったのをよく覚えている。
難しいカタカタの言葉もたくさん教わり、オーガナイズ、イニシアチブ、オープン、ベクトル。
自分の頭は?マークでいっぱいだった。
この時は言葉を忘れないようにひたすらサッカーノートを書いていたな。



ここでは埼玉県で知らない人はいないであろう、ガキ大将の新井成志郎(立正大/4年/大宮U18)と出逢うことができ、学校が終わったら毎日走って家まで帰宅をして一緒に電車に揺られていたのがとても思い出に残っている。



この時はまだ、「俺はプロサッカー選手になってやる。」
と強く思っていた。



ずっと試合に出続けていたのは中学3年生が最後かな。
ユースに昇格することができ、期待と希望を胸いっぱいに秘め、いざ入寮。



ここでとてもとても大きな壁にぶつかる。



「ご飯だ。」



これが本当にきつかった。
毎日毎日ストレスでトレーニングをしてる時から食事のことばっかり考えていた。
どうやったら早く食べれるか、どの順番で食べればお腹が膨れないかなど試行錯誤を繰り返した。



全員が食べ終わっていて自分1人が食べる終わるのを全員が待っている状況。(上級生、スタッフ)
今でも思い返して想像しただけで吐ける自信あります。笑
飯が食べれなくて胸ぐらを掴まれ、面談までするなんて今では笑い話です。笑



あ、同期の四年生は知っての通り今でもご飯を食べる遅さは健在です。
いつも待ってくれてありがとう。



そしてここでもまたガキ大将、新井成志郎(立正大/4年/大宮U18)と3年間同部屋で過ごす。



彼はテスト勉強をベッドで寝転がりながら行い、毎回高得点で帰ってくる。
夜は寝ぼけて床に何も落ちていないのに物を探し始める。
部屋は一切掃除をしないので自分が全て行う。



そして部屋を綺麗にした直後、吉永昇偉(現愛媛FC)が部屋をめちゃくちゃに荒らして帰っていく。



最悪。
だけどおもろい。笑



しかしそんな昇偉だが、試合に絡めていない自分に対して声をかけてくれ、夜中に寮から飛び出して一緒に走りのトレーニングに付き合ってくれたり筋トレ部を設立して身体を鍛えまくった。
今ではベンチプレスも100キロを上げられるようになりました。
今の自分があるのはこの人の存在も大きい。
(褒めといたからご飯連れてって笑)



1番印象に残っていることはやはりプレミアリーグで蓮(双子)とさいたまダービーができたということかな。周りの人からは親はどっちの応援をするのかを聞かれるのが定番でした。
ちゃんと中間で2人の応援をしてくれていました。
ありがとう。



ユースでは試合に中々絡むことができず、もちろんトップチーム昇格なんて夢のまた夢。
何の迷いもせずに大学でもサッカーを続ける決意をした。
いくつかの大学の練習会に参加し、条件が良く、特待生を頂いた城西大学でサッカーを続けることになった。
この時はまだ埼玉県1部リーグに所属をしていたが、1年生から活躍をして試合に出場すればまだプロになれると思っていた。



しかし蓋を開けてみれば、





「トップチーム公式戦出場時間0分。」





大学は今振り返ると本当に辛いことしかなかった。



改めて思う。
俺は大学4年間でサッカー選手として何をしたんだろうか…。



本当になにもしていない。



試合に出場してないんだからプロになれるはずなんてない。



怪我ばかりでリハビリの日々。
よし、やってやるぞと思った頃には四年生になっていた。



分かってはいたけど身体は戻らない。



最終学年である自分の主戦場は公式戦後の練習試合。
もしくは下のカテゴリーなどと合同で行う練習試合か準公式戦。



そこでもほぼベンチ。



大学生活で印象に残った試合は何ですかと聞かれても出てこない。これが現実である。



1番記憶に残っているのは、、、そうだな。



アミノバイタルカップで明治大学を倒し、喜んで輪になっているチームメイトの姿を次の試合の審判の服に袖を通して横目で見ている光景だ。
もちろん、集合写真にすら自分はいない。



少し遠くからぼそっと聞こえた。



「主将が審判か。」



サッカー人生最後の1年がこれか…。



同期が色々な所で活躍している中、俺はいったい何をやっているんだろう。
関東リーグ36大学で出場していない主将なんて自分だけだ。



これは本当に嘘なしで学校のオープンキャンパスの手伝いをしたか、毎週ミーティングをしたか、審判派遣に行ったか、スカウティングをしたか、リハビリをしたか、応援席にいたか、運営をしたか、そんな記憶しかない。



今だから言えるが、
これまで一度も思ったことない感情が湧いた。
「辞めたい。」
一瞬だけだがそう思ってしまった自分がいた。



別に感謝の言葉が欲しい訳ではない。ただ、
「ありがとう」その一言の重要さが身に沁みて分かった。



どこか「颯」なら大丈夫だろう。
「颯」ならなんでもやってくれるだろう。
そんな風に感じたのは正直な気持ちである。



ある日、あるコーチに言われた。
「試合に出るだけがキャプテンじゃないから」と。



その日からその言葉が頭から離れない。
これは良い意味でも悪い意味でも。



まだまだ足りなかった。
チームへの想いが。



多分顔に出てしまった。
自分が出場していないチームが勝っている悔しさが。自分のプライドが許さなかった。



俺はきっとこの時に試合に出場することを諦めた。
正直身体は限界だった。腰の痛みや体力。
まぁこんなのただの言い訳か。



あぁ、そうだ。俺はこの日にサッカー選手としては終わったんだ。



それからはもう全て割り切った。
自分のことはどうでも良くなった。



しかし自分にはやらなくてはいけない使命があった。



ここまでサッカーを続けさせてくれた親の為に。
一緒に闘っている仲間の為に。
キャプテンは颯しかいないと言ってくれた同期のみんなの為に。
自分のプレーが糞でも行動で示していこうと。
チームが勝ってればそれでいいやと。



これは本心である。



それからも当たり前のようにメンバーに外れて、当たり前のように担架席か応援席にいる。
けれど、当たり前のように準備をしっかりして、当たり前のようにちゃんとアップをして、当たり前のように声を出して練習をして、当たり前のように入念にストレッチをして、当たり前のように追い込んで筋トレをして。



またメンバーに外れて。



その繰り返し。

全く悔しくない。

やり続けるしかなかった。

なぜなら冨田颯に手を抜くという言葉は存在しないからだ。



俺は4月のブログでこう書いた。



サッカー選手なら誰だって試合に出場してチームの勝利に貢献したい。
けれどそれが全てではないということは1番よく分かっている。
ではどこでチームに貢献できるのか。
俺がピッチの中でもピッチの外でも全てのことにおいて全力でハードワークすることじゃないのか。






そう。

いつでも。

どんなときでも。

常に全力。

常にハードワーク。

俺にはこれがあったから今年1年間、18年間サッカーをやってくることができた。
どんな壁も乗り越えてこられたのである。



そして全力でやってきた結果、関東リーグ3部優勝、関東リーグ2部昇格という形で結びついた。



素直に嬉しかった。






これまで自分に関わってくれた全ての人に感謝したい。



まずは今年関東リーグを運営してくれた学連の学生。
みんな無しでは今年の試合はできていない。
本当に感謝をしています。
ありがとう。



そして裏でずっとサポートをしてくれた
マネージャー、小和瀬、林、
力になりました。
ありがとう。



また、これまで指導をして頂いた学校の先生、そしてこれまでサッカーを教えて頂いた先生、コーチ、監督、全ての人に感謝をします。
サッカーはもちろん、1人の人として成長させて頂きました。
ありがとうございます。



特に自分のサッカーの軸を作って頂いた岡本隆吾コーチには本当に感謝をしています。熱い気持ちを忘れずにこれからも生きていきます。



これまで関わって頂いた全てのトレーナーや先生にも感謝をします。青木さん、窪田さん、松さん、関さん、小鉄さん、タジさん、高橋さん、岩澤先生。
怪我が多い自分のサッカー人生を手助けして下さってありがとうございました。
無事に引退をすることができました。



そして何より家族に感謝をします。


蓮はずっと俺の憧れの兄です。
かっこいい背中、ずっと追いかけます。
サッカー人生お疲れ様!

両親
最後は試合出れなかったけど俺やり切ったよ。
これまで試合に足を運んでくれてありがとう。
いつもお仕事お疲れ様。
ここまでサッカーを続けさせてくれて、ありがとう。
今度は自分が支えます。



もちろん、隣でずっと支え続けてくれた人のおかけでもあります。
高校の時からずっと応援してくれてありがとう。



書き出してみるとキリが無い。自分はたくさんの人に支えられてここにいることができているのだと。人に恵まれていたんだなと実感しました。



サッカーというスポーツにも感謝をします。
サッカーがあったおかげでこんなにも最高の仲間や戦友と出逢うことができました。
本当に幸せです。



ありがとう、サッカー!
サッカー最高!





今年度の目標であった関東リーグ2部昇格を達成することができた。
しかも関東リーグ3部優勝という最高の形で。
試合には出場していないけれど、冨田颯という1人の人間として最低限の責務を果たすことはできたのではないか。



ここで本気でやるサッカー人生とはお別れだけど
第2の人生も常に全力で頑張ります。



また、このブログを読んでくれている後輩やサッカー選手達には忘れないでほしい。
なぜ、サッカーをやっているのかを。



サッカーが楽しいから、サッカーが好きだからではないのか。



自分には最後これが足りなかった。



これが無くなってしまったら上達はできない。



だからサッカーを常に楽しみ、サッカーができることに感謝をし、一緒にサッカーをしてくれる仲間、相手にも感謝をしてほしい。



後輩の皆んな、これまで城西大学体育会サッカー部の歴史を作り、戦ってきた偉大な先輩方の全ての想いを無駄にしてはならない。


常に謙虚でいること。
挨拶と感謝をしっかりする。
誰か困っていたら助けてあげる。


この3つをしていれば自然と周りはついてくる。
どんなに上手い選手でも最後は必ず「人間力」がプレーに出る。
仲間のミスや失敗にため息をついている暇があるならすぐに手を差し伸べて助けてあげてほしい。
いつかその仲間が必ず助けてくれる。
そうやって巡り巡って必ず自分に帰ってくる。
自分はそう信じている。
実践してみて下さい。



今試合に出場できていない選手は試合に出ることを絶対に諦めてほしくない。



常に努力し続けろ。
常にやり続けろ。
常に闘う姿勢を見せ続けろ。



これは簡単そうでめちゃくちゃ難しい。
でも皆んなならできると信じています。



そしてなにより自分の最大の目的である、チーム全員が同じ方向を向いて笑顔で終えることができて、
同期のみんなと喜びを分かち合うことができて、本当に幸せです。






心の底から同期の16人全員が大好きです。
ついてきてくれてありがとう。






冨田 颯






P.S. こうたろうさんしか勝たん

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