見出し画像

UVERworldと生きている

私という人間を知ってもらううえで、”UVERworld”の存在は切っても切り離せない。彼らのファンになってもう11年になる。

私が彼らのことを認識したのは、中学2年生になったあたりだった。理由は単純、当時好きだった男の子(のちの初彼氏)がよく聴いていたからだ。それまでは名前すら知らなかった。

親との連絡用に持たされていた携帯はネットに繋げない、もちろん自分のPCなんて持っていないから、家族共有のPCを立ち上げ、「ウーバーワールド」と検索した。某違法PVサイトで「激動」を視聴した中学生の私は衝撃を受けた。ガンガンに響いてくる”音”、よくわからないけれど必死に訴えかけてくる”歌詞”。まさに「厨二病」を刺激してくる音楽だった。嵐やAKB、西野カナなどが流行っていた中、私はUVERworld漬けの日々を送ることになる。


誤解の無いように言っておくと、前に述べた「厨二病」は私の中でポジティブなワードである。青臭くて、アツくて、泥臭くて、綺麗事の無い曲に胸打たれ焦がれる人は少なくないはずである。私もその一人であり、その「厨二病」に未だに救われているのだ。

中学3年生の冬、初めてライブに行った時のことは一生忘れないと思う。2010年12月16日、福岡のドラムロゴスというキャパ1000人前後のライブハウス。その前月に東京ドーム公演を成功(本人たちはうまく伝えられなかったと悔やんでいたが)させた直後のライブハウス公演で福岡に来てくれたことが嬉しくて、高校受験前だったが親に懇願してようやく手に入れたチケット。

圧巻だった。熱気も、一体感も、彼らの音も何もかもが私の心を支配して、中学生ながらに涙が止まらなくて、ずっとこの時間が続くような気がしていた。

それから毎年、どこかのライブに参戦していた。ライブに行っては当時やっていたデコログにレポートを書いて同じファン(通称Crew)と共有していた。このCrewたちとの出会いも私の人生では大きな出来事なのだが、それはまた別の機会にお話し出来たらと思う。

UVERは毎年年末に必ず福岡でライブをやってくれる。それに行くのが私にとっても恒例行事だった。2020年、3月以降予定されていたライブが次々と延期・中止になっていった。年末もきっと難しいだろうと言われていたが、11月、開催決定というメールがファンクラブから届いた。

私は迷わずチケットを取ったが、結論から言うと、ライブには行かなかった。ライブに行くか、家族と会うかの選択を迫られ、ライブを断念した。この選択が間違っていたとは思わない、今の時代何が正解かなんて誰も答えは出せないはずだから。

中学生の頃のような、いわゆる熱狂的ファンではなくなったと自分でも思っている。でもそれくらいでいい。彼らの音楽が今でも私の救いであり、道標であることに変わりはないのだ。

2020年一番聴いた曲は間違いなく「一滴の影響」だ。この状況は誰のせいでもない、自分を責めるな。その言葉に、今日という日の意味を感じられた気がした。


平凡な私に、非凡な時間を与えてくれる人たち。彼らがいなかったら出会わなかった人たち、行けなかった場所、言えなかった言葉がたくさんある。

間違いなく私は、UVERworldと共に生きている。


泣いたり笑ったりして喜びます。