1/22(土)

立派な人がすなる日記といふものを凡人もしてみんとしてす

「私」は取るに足らない、ゴミみたいな人間だ。
というか、生まれた時からそうだった。
公園の白い金網のゴミ箱に捨てられていたそうだ。
子供の「私」の素行に何かある度にそう言っていたが、
そんな間違いなくゴミだった「私」を、ゴミ箱を漁って家に持ち帰り育てた両親もどうかしている。
桃太郎のおじいさんとおばあさんの方がまだ自然に思える。おばあさんがどうやって大きな桃を持ち帰ったのかを除いてだが。

そんなゴミ野郎の「私」の日記など、何の価値もないだろう。
金の卵を産む鳥は、鳥自身が黄金か、金を食べたかのどちらかしかない。
無から有は生まれない。

価値はなくとも書くのは自由だ。
書くのは「私」の自由。
読むのはあなたの自由。

自由にやりましょう。

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