松下村塾は、「個々人の育成」がゴールではなかった。
単なる勉強会はサロン、世の中に大きな影響を与えられる活動体はパーティであり、両者は全然違います。
前者は同学・同好の者が集う場に過ぎず、何かを催しても大交流会的なイベントで終わります。それに対して後者は、同志団結の勢いを持ち、集会を開催すれば、天下を動かす国民運動大会と化します。
勉強会やセミナーにも、「日本を良くしよう、世界を平和にしよう」といったスローガンが掲げられている集まりが沢山あります。でも、大抵は受講者個々人の意識向上や、目標設定のサポート程度がゴールとなっています。
確かに、一人一人が志を立て、それぞれ活躍していく姿は、とても素敵なことです。一人一人を見たときは、それぞれ小さな活動に過ぎなくとも、集計すれば大きな灯火となり、その向こうに日本が良くなり、世界が平和になる道がきっとあるという考え方は、本当に崇高で素晴らしいと思います。
しかし、孫子ならば満足せず、「それでは勢いが起きない」と指摘する
でしょう。
個々バラバラなままでの取り組みには自ずと限界があり、自己満足の集合体にしかなり得ない。
有機的な活動体として一丸にならないと、天下国家の変革は成し遂げられない。
というわけです。
幕末に長州の松下村塾から一流の志士たちが育ったのも、「村塾の教育が個々の育成をゴールとせず、日本を救う変革者養成と、そこから生まれる大業に目的を置いていた」からです。
長州には立派な藩校明倫館がありましたが、実行とは無関係の喧噪(けんそう)サロンと化していました。それに飽き足りぬものを感じた久坂玄瑞や髙杉晋作らが、吉田松陰先生主宰の松下村塾に向かったのでした。
戦上手は、「全体の勢い」を重視する。
戦いの上手な者は、勝利を勢いに求めて(個々の)兵士には求めない。そこで、きっぱりと(個々の)兵士を捨てて勢いに任せていく。
勢いに任せられる者が兵士を戦わせる様子は、まるで丸太や岩石を転がり落とすときのようなものだ。
丸太や岩石の性質は、安定した状況ではそのまま静かだが、不安定な状況になると直ちに動く。また、四角い物はそのまま止まり、丸い物は直ちに転がり行く。
そういうことから、上手に兵士を戦わせるときの勢いは、丸い岩石を深い谷に転がり落とすときのような勢いである。
令和2年2月4日発行
【林英臣の元氣メール第1197号】
【連載】勝つための思考と行動
~東洋最高のインテリジェンス「孫子」その56〜より
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