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継続ができれば苦労しない。

最近、高校生の僕が誇れることは、中学受験である程度良い学校に入れたことのみのような気がする。しかし、それすらも過去のことであり、今になって誇るべきではないこともわかっている。だけど今の自分の生活を振り返ると楽な方ばっかり求めて動いてしまっていて、結果を出したという覚えがない。

僕は昔っから努力というものとは無縁に近い生活を送っている。楽しそうと思って自ら求めて何かを始めてみても、練習しないからうまくならない、うまくならないから楽しくない。結局やる気がわかなくなってしまって違うものを求めるようになる。結局習い事なんていくつやっていくつ放棄したことだろうか。チャレンジ、公文、水泳、テニス、野球、サッカー、ピアノ、塾、将棋などなど親に頼んで自ら始めたものを次々と放棄していった。唯一何とか続いた勉強も受験が終わったら放棄してしまった。いまや、最初あった500円のおつりが、10000円の借金に代わっている状態だ。

そんな人たちのために、飽きっぽいという言葉があるが、飽きるという言葉を使えるほど頑張ったことが僕にはあっただろうか。いや、ないだろう。

そして、僕のような人たちが自分に都合のいいように作ったであろう、「いろいろなことに興味がある」というポジティブな言いかえはできても、それも表面をなでるだけのようなものでは通用しないだろう。

そんな生活をしていると、部活に入ってもやる気なんて沸くはずがない。そうして、やる気もなく、下の方でくすぶり続ける。だけどだからと言って頑張ろうともならない。頑張ってダメだったら自分が傷つくからという言い訳まで作ってしまって動けずにいる。部活なんてくだらないと毒を吐いている。

努力できるのも才能、そんな言葉を頭から信じ込んでしまえば楽になれるのかもしれない、才能がなかったんだとあきらめてもいいのかもしれない。でもこの年であきらめなんて言葉で自分を説得したら、どう生きていけばいいんだ。

それに、『スマホをついいじってしまって学校の勉強ができません。』こんな初歩的な問題に才能が関係するものか、スマホを自分の意志でシャットダウンすれば勉強できるだろうが。なのにやってないだけじゃないか。

要は楽な方に流されるけれども、楽な方に流されてもそこでまた楽を求めますという脳みその持ち主なのだ僕は。

タイトルには継続ができれば苦労しないと書いた。僕は文章を書くといつも本筋を見失ってしまうのでここらでタイトルについての話をしておこう。継続することは死ぬほど難しい。三日坊主という言葉が宇宙で一番有名であろう四字熟語であることでそれがわかる。でも世間の生きとし生けるものたちはそれを継続しているのだ。みんなすごい。社会で生きる人たちはみんなすごい。僕なんて、学校でさえ3年間の辛抱だと思って通ってるくらいなのに、40年近く同じ会社で働き続けていた会社員の皆さんは何をおもいながらその仕事を継続しているのだろうか。誰か世界中の全社会人にインタビューをしてその総括を教えて欲しい。

DaiGoさんが人と比較することは脳にダメージを与え、IQを下げるといっていた気がするが、やっぱり評価の基軸を自分に移すのは難しい。人と比べてしまって、自分は継続できないぞぉと自分の脳を痛めつけてしまう。

やっぱり継続は簡単じゃない。大人になったら継続が幾分かできるようになるのか、果たして、大人になっても継続ができないことに悩み続けるのか。

それはなってみないと分からない。しかし、変わらないんだろうなという自信だけは今のところある。

そんな自分を幾分か変えていって物事を成すことを目指すのが人生なんだろう。

そんな気がしている。

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