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謎に包まれたポテトチップス誕生秘話🌈

ポテトチップスが生まれたのは、1853年。

ニューヨークにあるレストラン『ムーンズレイクハウス』で、ある一人の客がポテトフライを注文した時のことです。

「このポテトフライ、分厚くて脂っこすぎる」

料理を突き返しながらクレームをいう客に腹を立てたコックは、どうしたらこの客をギャフンと言わせられるか考えました。

そこで思いついたのが、『嫌がらせ』。

これでもかと、丸いジャガイモを薄くスライスし、さらに、それをバリバリになるまで揚げ、最後に、思いっきり塩を振りかけて提供したんです。

コックは、嫌がらせのつもりで提供しました。

しかし、客の反応は違いました。

彼は自分のために考案された斬新な料理であると思い込み、とても気に入ってしまったんです。

その評判は、口コミで広がり、瞬く間にムーンズレイクハウスの人気メニューになりました。

この料理が、『ポテトチップス』です。

この出来事をきっかけに、コックは独立し、自分のレストランを開業。

コックは、この料理の特許を申請します。

しかし、彼が黒人であることを理由に、当時のアメリカでは申請が通りませんでした。

その後、ポテトチップスは商品化され、工場で大量生産されるほど人気を集めますが、発明した彼には1ミリも利益が入らなかったそうです。

ただ、独立したレストランは、多くの富裕層に受け、愛され続けました。


人々に愛され続けた『ポテトチップス』。

しかし、その後、特許より深刻な問題が起きてしまいます。

ここまで記したポテトチップス誕生の話が「真実ではない」という主張が相次いだんです。


「ムーンズレイクハウスでは、もっと前の1800年に、ポテトチップスが誕生していた」

という、レストラン側の主張。

「実は、コックの発明ではなく、私の指示だった」

という、客側の主張。

さらに、

「もっと前に私たちの街では作っていた」

という街側の主張まで出てきてしまいました。

これらの主張を受けて、研究者はこのように結論付けています。

「ポテトチップスの起源については、永遠に謎に包まれたままである」

その後、1976年に、コックの功績を称えて、レイクハウスの近くに記念碑が建てられましたが、反対派による仕業なのか、すぐに盗まれ、未だにその記念碑の行方は分かっていません。


日本では、1960年に、湖池屋が国内初のポテトチップスの販売を開始。

しかし、当時はそこまで人気ではありませんでした。

そこで、湖池屋が試行錯誤を重ね、その結果、ある日本人向けの味に辿り着きます。

それが、『のりしお味』です。

おにぎりなどを包むのに欠かせない、海苔の風味を活かしたこの味は、日本人の心を掴み、ポテトチップスは一気に人気商品になりました。

「真実はいつも一つ」

真実が分かるまで多くの疑惑が浮上し、困惑され続けるのが、今私たちが住む世界なのかもしれませんね😌

最後まで読んでいただきありがとうございました🌈
 

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