日本の伝統文化!おもてなしの精神やわびさびが感じられる茶道の歴史🌈
日本人の持っている『感性』と底知れぬ『奥深さ』、そして、独特な『伝統』『歴史』『心』。
これらを、茶道を通じて学ぶ外国人が今、増えています。
一方、私たち日本人は、
「敷居が高そう」
「作法が細かくて難しそう」
こういったイメージから、年々『わびさび』の心が離れつつあります。
わびさびは、『侘び・寂び』と書くように、慎ましく質素なものの中に、奥深さや豊かさがあることを表現する言葉。
茶道は、心を落ち着かせながらお茶を点てて、客人に振る舞う儀式。
ただお茶を飲むだけでなく、『おもてなしの精神』や『わびさび』など、美しい心得を感じられる日本の伝統文化です。
お茶が日本に入ってきたのは、平安時代。
遣唐使として最澄や空海が唐(中国)に渡り、中国の茶葉を日本に持ち帰ったのが始まりです。
日本の歴史書『日本後紀』には、
「唐から来た僧の永忠が、嵯峨天皇に近江梵釈寺でお茶を奉った」
と書かれています。
これが日本にある最古のお茶に関する記述。
この時のお茶は、中国で当時飲まれていた『団茶』と呼ばれる団子状に丸められたお茶だったと言われています。
今でいう烏龍茶のような『半発酵茶』です。
つまり、お茶の色は、抹茶のような『緑』ではなく、『茶色』だったということ。このことから、日本での呼び名も『茶』となったそうです。
その後、仏教の一つ、臨済宗の開祖である『栄西』が、鎌倉時代に、宋(中国の王朝)から茶葉を持ち帰り、日本最古とされるお茶の本『喫茶養生記』を記します。
当時、この本は、医学書としてとても重宝されました。
この頃のお茶は、現在のような嗜好品ではなく、薬や儀式の際に飲まれるものでした。
現在のように、嗜好品としてお茶を飲む習慣は、近畿地方から徐々に広まったもの。
栄西から禅を学んだ『明恵』が、栄西から譲り受けた茶葉を栽培し、伊勢・駿河・武蔵などに伝わり、宇治茶の基礎がつくられました。
現在も、これらの土地はお茶の名産地として知られています。
そして、現在のお茶会が生まれたのは、室町時代。
近畿地方から広まった『茶の習慣』と武家社会で生まれた薬や娯楽としての『茶の文化』が、庶民に伝わります。
室町時代初期に育まれた『北山文化』の影響を受け、将軍や大名たちの間で、現在のお茶会につながる文化が生まれます。
この時代の将軍や大名は、『会所』と呼ばれる喫茶の場を作っていました。
この頃から、絵画・墨蹟・茶道具などを飾り、鑑賞しながらお茶を楽しむ、茶道の原形が見え始めます。
そこから、茶人の村田珠光が、唐物(中国製の物)から和物(日本製の物)に道具を変え、亭主と客人の交流を重んじる『わび茶』が成立。
このわび茶を発展させたのが、茶人の『千利休』です。
千利休は、茶室の造りや茶道具に深いこだわりを持ち、現代の茶道が確立しました。
武士の嗜みとしていた頃の日本の美意識が受け継がれた『茶道』。
この代々受け継がれた日本人の心は、今も世界中の人々を魅了しています😌
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