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「生きるの大変そう」ってそれ同情ですか?

幼いころに
「貴方は息をしているだけでも大変そうだね」
と、少し馬鹿にしたように言われた事がある。

最近も、仲良くなった会社の先輩に
「なんか生きづらそうな考え方だね」と言われた。

私が人生を器用に要領よく進められないことは
他人から見るとそんなに目立つことなのだろうか。


実際、飄々と何事もそつなくこなしているように見える友人は
やはりとても羨ましいし、ああなりたいなと思う。

落ち着きがあって大事な時に口を開くと
説得力のある一言がでる知人を尊敬している。

深く考えて落ち込んでいる時間が私にとって
楽観的かつポジティブな先輩はとても憧れだ。

私がじたばたと不器用に生きる様は
そんな皆より不格好なんだろうな。
すぐ泣くし、トラブルで焦るし、
注意散漫でぺらぺらと喋って言葉に重みのない私が
なんだかどうしようもない人間に感じて
居なくなりたいと思ってしまう瞬間が
たまにある、本当にたまにだけど。

皆人それぞれの辛いことがあって乗り越えていて
辛さとか比べられないのはわかっている。
人には人の地獄があるから、
人の気持ちとか生きやすさ/生きにくさとか考えてもわからない。

だけど他人に「大変そう」と言われるたびに
惨めな気持ちになっている自分はいる。

スーパーの売れ残ったお惣菜に
20パーセントオフのシールが貼ってあるみたいに
私には大変そうシールが貼られているのだろうか。


他人からの生きづらそうという言葉の裏には
私を下に見る意味が隠れているように感じてしまう。

そんなに不器用で可哀そう、という哀れみや同情が刺さる。

貴方に見えている範囲だけの私を
勝手なものさしで測って何かしらの評価を下されるの怖い。

私はただ私なだけなのになあ


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