徒然日記2020.10.22

今日はユングのことから連想したことをつらつらと書いてみたい。ユング心理学にはペルソナという概念がある。Wikipediaの説明を引用する。

ペルソナ
ペルソナとは、カール・グスタフ・ユングの概念。ペルソナという言葉は、元来、古典劇において役者が用いた仮面のことであるが、ユングは人間の外的側面をペルソナと呼んだ。
 ウィキペディアより引用

よく内弁慶とか言われるが、人は社会的な時に見せる人格と家庭で見せる人格、友人だけに見せる人格など、さまざまな人格を持ち合わせている。

なにか社会的な人格で我慢していることがあっても、家庭や友人などで見せる顔があれば、一つの人格の不満は希釈され薄くなっていく。一番良いのは社会的に抑えていたのを、別人格のように発散できるペルソナを持っていると、公私共にストレスフリーになるのかもしれない。

社会的には抑えているが、本来の自分というものを持っている。でもなかなか本来の自分を出せる場所がない。これは現代人の悩みかもしれない。家庭や友人などは本来の自分を出せる場所であれば気が楽だろうが、そこでも抑えている方もいるかもしれない。

私は最近「バ美肉おじさん」という現代のアニマの象徴を知って驚いた。

バ美肉
バ美肉とは、バーチャル美少女受肉またはバーチャル美少女セルフ受肉の略語。少女のアバターを纏うこと、あるいは、纏ったうえでサイバースペースの美少女として、VRChat等のサイバースペースで活動したり、バーチャルYouTuber、バーチャルアイドルなどとして活動することを指す。 ウィキペディアより引用

ユング心理学には男性にはアニマ、女性にはアニムスと言って、男性なら自分が男性として振る舞わないといけないので抑えてきた女性的な魂を表すアニマ、反対に女性が抑えてきた男性的な魂のアニムスという概念がある。バ美肉おじさんは、普段はおじさんなのに、バーチャルでは美少女アイドルで、まさにアニマの顕現と言っても差し支えないと思っている。このような普段は生きられなかった側面をバーチャルでもプライベートの休日にでも表に出せることが大事なのかもしれない。

今の現代の生きづらさは、自分の持つ仮面の少なさから来ていると思わざるを得ない。一つの仮面で悩みがあっても、二つ目の仮面では好き放題やっているなど、さまざまな仮面を持つことによって、生きているということはより豊かになると思うのだ。

最近ハマっている植島啓司の「偶然のチカラ」から特におすすめの言葉を引用して、今日の日記をおわります。

きわめて根源的な問いかけになるが、人間の真の幸せというのはいったいなんだろうか。どこにあるのだろうか。もちろん、人によってさまざまな回答が寄せられることであろうが、もしかしてそれは複数の生を楽しむところにこそあるのではなかろうか。
 あるときは仕事して、あるときは遊ぶ。あるときは信仰に生きて、あるときにはアーティストになる。必死になって知りたいということを学んだり、さらに異性との交流(やさしい男性や愛くるしい女性など)を深めたりする。それらを同時にすべて実現することにこそ人間の本当の幸せがあるのではなかろうか。
植島啓司『偶然のチカラ』(集英社新書)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?