見出し画像

物を買わずに豊かに生きる

世界はウクライナの戦争をキッカケに混迷を極め、古くからの価値観は壊れて、混沌としている。コロナ禍においても、古い価値観が音を立てて崩れていくのを目撃していたが、この戦争もまた、古い価値観を壊すだけには充分な変化をもたらすのではないかと思っている。

どうやら電力不足らしい。あまりニュースを見ていないので詳細は知らないが、エネルギー事情のひとつをとってみても、今までの電力を大量消費している時代は変わっていかないといけないのではなかろうか。

物を買うことによって豊かになる。どんどん買って、大量生産、大量消費。そんな時代も、もう終わってもいいのかもしれない。

資本とか経済とか、そんなものから抜け出した先に、もっと豊かなものを垣間見えることがある。

気づく瞑想というものをやっていると、いかに物欲を刺激するものに触れているのか気づかされる。YouTube、テレビ、雑誌、インターネット。さまざまな媒体は、表に裏に、物語を通して物を買わせるように迫ってくる。知らず知らずのうちに買う気にさせるように、色んなところでしかけてくる。

しかし、わかってはいるものの、物を買っても満たされない。ラットが回転する足場で走り続けるように、必死に物を買って満足を追いかけるように走っていても、ずっと同じところにいる。

少しの間、買わないでいてみる。買おう!と思ったら、一歩立ち止まってみる。そして、ずっとその気持ちと向き合ってみる。じーっと見ていると、だんだん弱くなってくる。そして、、消えた。

お金をつかうことから離れてみる。そうすると、はじめは欲求不満の状態になって、渇望する。禁断症状がでてくる。でも、ジーッともう一つの心の目で、欲望を見つめてみる。時間をかけると、欲望は立ち去っていく。

お金をつかわないとつまらないなぁ。はじめはそう思う。でもだんだんと使わなくても豊かになれることがわかってくる。いや、むしろ使わないほうが豊かなのかもしれない。

もっと、もっと、という意識のころは、次から次へと物を買っていた。それを止めてみると、不要なものに気づいてくる。そして不用品を売りに行って、ひとつひとつ減らしてく。そうすると、大事なものだけのこる。その大事なものを、じっくりと使ってみる。うん、やっぱりいい。そして物で溢れていた時よりもじっくりと、大事なものと向き合う。

うん、これ買ってよかった。

休日に子どもたちと庭で遊ぶ。ロープをつなげて、大縄跳び、リンボーダンス、走り高跳び。小さい庭で、創造的な遊びが次から次へと生まれる。あれ、ウチの庭でこんなに楽しめたっけ。こんなところに花壇があって、芽が生えてきている。娘は自慢げに紹介してくれた。

ああ、物を買って、もっともっと!となってた頃より、何も買わない、今の方が豊かに生きられているのかもしれない。

今度、近くを散歩してみよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?