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悟りへの道 《2021.12.23》

脳は常にシミュレーションする。社会生活を営む上でシミュレーションは欠かせないし、もっと言えば狩猟していた大昔でも敵の動物を察知するために、シミュレーションしていたのかもしれない。

現代を生きる私たちはシミュレーションが過ぎる。過度なシミュレーションによって、悩み、苦しんでいる。シミュレーションは疲れる。過去や未来をシミュレーションして、常に悔いて、怒り、苦しんでいる。
私たちは何かが起こるとすぐにシミュレーションして、不安を増幅していく。

私はシミュレーションが過ぎて、現実生活がままならないという、いわゆるメンヘラ気質だった。統合失調症という病もまた、シミュレーションの暴走に過ぎないと今の私なら思う。

悩みの元は、シミュレーションにある。

そのように気づいたときがあった。前も書いたかもしれないけれど、悟りとはシミュレーションする自分に気づき、あるがままの今を取り戻すことだと思っている。私がシミュレーションに気づいたのは、シミュレーションから現実に引き戻されたときだった。

シミュレーションは予測なので、もちろんある程度当たることもある。しかし、自分を苦しめる悪いシミュレーションは、そのほとんどが現実よりも過度に悪い予測を行っており、それによって不安を増幅させていることに気づいた。悪い予測のほとんどが当たっていない事実に気づいたのだ。面白いことに、人間は悪い予測ばかりする。私は気づくことによって、ある程度悪い予測を制御することに成功した。生きているのが随分と楽になった時に、周りの人たちが思い悩んでいることのほとんどが悪いシミュレーションから来ていることにも気づいてきたのだ。

シミュレーションに気づき、あるがままをとらえる。

そうすると世界は素晴らしいことに気づく。世界をシミュレーション抜きにして捉えると、今ここにいる奇蹟に感動する。万物は流転して、生じては滅して、絶えず変化していく。諸行無常。

変わらないのは、変わり続けること。

奇しくも私の働く会社が外資に買収されて、海外の経営者が口癖のように言っている言葉がこの言葉である。

変わらないのは、変わり続けること

シミュレーションのない世界では、あるがままに自由に、変化していく可能性をもって、今ここにいる。

過去や未来の不安から抜け出して、今ここにいると、ああこれが答えだったんだと思える。何かに駆り立てられるようにシミュレーションして、決して満足することのない物だったり、金だったり、それを幸福だと思って追いかけていた。しかし、今は違う。

答えは今ここにある。

シミュレーションのない、今ここに答えがあった。ああ、こんなに安心できるんだ。シミュレーションなしで、身体につながっていくと、体の声が聞こえてくる。今まで自分の意識で蓋をしていた身体の反応が、事細かくわかる。その身体から、世界へとつながっているような気さえする。

今ここにいる、あるがままの世界を捉えると、生じては滅して諸行無常の世界を、無条件に賛美するような気持ちになる。全ての可能性を秘めた、今ここにある世界を、賛美する。曇りなき眼で、世界を観る。ああ、世界は素晴らしい。正法眼蔵。道元の見た世界に少し近づいたかな?

会社に出社して現実のシミュレーションの只中にいる。昼休み、一人で喫茶店で食事をする。食べ終わったあと、岩田慶治の道元を読む。今ここの世界、千年万年のレベルの世界にトリップする。トリップしてからもどってくると、時間は昼休みが終わろうとしている。またシミュレーションの世界に出かけていくけれど、昼休みに曇りなき眼で世界を見ているから、幾分か幸福感を引きずって午後の仕事に精が出る。ああ、こうやってシミュレーションの世界から、たびたび抜け出して、悟りの世界と行ったり来たりしていると、生きているのは、楽だ。シミュレーションの癖を掴み、精度の高い現実に即したシミュレーションだけをする。悪いシミュレーションをしないだけで、なんて生きているのは楽なんだろう。

妻が車を擦ってしまった。妻は悪いシミュレーションをしながら、私に報告をした。諸行無常。形ある物いつか壊れる。修理の見積もりなどの手配をして、後悔する妻をフォローする。壊れたら治せばいい。変わらないのは変わり続けること。ずっと同じ物なんてない。それこそ幻想だ。これからの時代は、変化に対応する能力が、より一層求められる。いちいち悪いシミュレーションして後悔している時間などない。変化していくただ中で、曇りなき眼で、千年万年の世界にトリップする。山川草木国土悉皆成仏。正しい眼で世界をみて、世界を賛美し、今を生きる。可能性の孕んだ、全てを包む今へ。

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