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徒然日記2021.2.09

志村真幸著『南方熊楠のロンドン』(慶應義塾大学出版会)から引用する。

熊楠の言葉として、「大体帝大あたりの官学者がわしのことをアマチュアだ云ふが馬鹿な連中だ。わしはアマチュアではなくて、英国で云ふ文士即ちリテラートだ。文士と云っても小説家を云ふのじゃない。つまり独学で叩き上げた学者を呼ぶので、外国では此の連中が大変もてる。ドクトルとかプロフェッサーとか云ふのはラーネッドメンだ。英国のアカデミーなんかは此の文士と学者が半々位になって居る。わしなんかは此の文士として英国ではもてたものだ」
この場合のアマチュアがプロにくらべておとしめられる存在なのかといえば、そうではないことは明白である。貴族・ジェントリ層は地代等によって暮らしており、植物によって収入を得る必要がないから、アマチュアなのである。アマチュアの語源がラテン語のアマトール、すなわち「愛好する人」にあることも想起すべきだろう。
民族学、民俗学、フォークロア研究の分野においても、アマチュアが多数参加し、重要な成果を生み出したことは有名だ。イギリスでは一九世紀に、国外を対象とした民族誌、国内を対象とした民話集・フォークロア研究が大量に出版されたが、そのほとんどは大学の研究者ではないひとびとによって書かれている。ちなみに日本の柳田国男も大学で民俗学の専門的教育を受けたわけではなく、第二次世界大戦後になるまで大学教授として働くことはなかった。彼もアマチュアだったといえるのである。柳田が全国規模で組織した民俗学の情報収集網も、そのほとんどは地方のアマチュアによって構成されていた。

日本人は玄人と素人の文脈でプロとアマチュアを語るけれど、とんでもないと思った。アマチュアの語源が愛好するもので、もともとお金に困らない層が自由に好きなことを探究したところを起源とするという。興味深いのは南方熊楠の行った当時のイギリスでは職業研究者と愛好者が半々くらいで知的研究がなされたところだ。かの有名な柳田国男もまたアマチュアが起源の人だという。

私はTwitterで+Mさんの読書による探究にとてもインスパイアされているけれど、Mさんもまたアマチュアの文士といえる。職業研究者となんら遜色のない、むしろ縛られない自由さで越えていくような探究がなされていると思っている。今の日本はプロとアマと聞くとプロを上に見る傾向にあるけれど、愛好者のアマチュアには自由な探究ができることを再認識できた。

話は変わって磯崎純一著『龍彦親王航海記  澁澤龍彦伝』(白水社)をとても興味深く読んでいる。サド裁判の章を読んで、私はサド裁判についてイメージを裏切られた。言論の自由などに対して闘った記録かと思えば、全く違った。弁護人はまさに大義があって闘ったのに対して、澁澤龍彦は裁判に遅れてきたりして、宇宙人だといわれていたらしい。そこには最近の私の命題である、二項対立のジレンマから越えていく澁澤龍彦がいる。澁澤龍彦の親しい間柄に正反対の二人がいた。少し引用する。

六〇年代に澁澤がもっとものっぴきならない関係を結んだのは、石井恭二と三島由紀夫の二人だった。片方は極左のアナーキストとみなされる戦闘的出版社の社長であり、もう片方は、イデオロギーの上ではその石井の正反対と言い得る立場から「文化防衛論」を著し、楯の会を結成して自衛隊員の前で腹を切った人物だった。

澁澤龍彦とは本人自体も軽やかな人で、意味の重さに縛られることなく、二項対立を越えた先の豊かな世界を見せてくれた人なのだと確信した。

心酔しているMさんのツイートを引用して、最近にしては長めの日記を終わる。


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