いつもの帰り道と愛

暗くなった帰り道。
オレンジの柔らかな灯台の光に早まった鼓動はなだめられ、
いつのまにかそこにあった肩の緊張がほぐれる。
意識的にゆっくりと、秋のはじまりを告げるような空気を吸って、吐く。
まだ若干残ったなまぬるい空気がひんやりとした秋風を際立たせる。
しっかりとした一漕ぎを繰り返して、堂々と自転車を漕ぎ、家へ向かう。
何として変わらないいつもの帰り道。
最近お気に入りの季節に合ったプレイリストから、
順番に優しい音楽が流れ、固くなった心は癒されていく。

ついさきほど悲しいことがあった。
テレビに出るほどに何かひとつに打ち込んで、
努力が報われた先輩が大学にいた。
周りはその彼女の努力の結晶を携帯にうつして、
本人の前でいつもより目を大きく開けて見ていた。
いつもより高い声で、いつもより多くの回数
「すごいです」「かっこいい」と言った。
「サインもらわなくちゃ」とおちゃらけてみせて、
心からの尊敬を一生懸命に周りに提示していた。
小さな彼女からの反応に、おおげさに喜んだ反応を返し、
嫉妬の隙もないほど、純粋に人を尊敬し、すごいということを伝えられる、
他人の全てを受け入れられるほどの十分な心の余裕の持ち主だと、
誰からも疑念を向けられていないにも関わらず、
そう周りに訴えかけているようだった。

私はそれを見て哀れだと思いながら、
少しだけ悲しかった。
本当に彼女のことをすごいと思い、
その旨を言葉にして発信しているだけの子も
何人かはいたのかもしれない。
努力が実った彼女に奮い立たされて、
自分の向上のきっかけになったことを感謝している子も
いたのかもしれない。
けれど、周りに合わせて、
相手の幸せを心から喜べない中、
無理矢理に自分を方向転換させて演技している子がいるのかもしれないと思った。
そう思いついてしまうのは、それがいつもの私だったからだ。
相手の幸せ、努力、困難、自信、夢、まるだしな欲求。
冷めた目でみてしまう自分がいる。
そんな自分に、本当はただ嫉妬している自分に
羞恥心が募る。
その靄のような感情は、もくもくと立ち昇り、うわっと私を包んで
あたりが見えなくなる。
何も目に映らないこの状態で、意識を向けることができるのは
自分の内面だけだ。
頭がしくしくと痛む。
お構いなしに、言葉に乗った感情は私の脳内をぐるぐると回って、
壁に当たっては跳ね返ってを繰り返す。

そんな時、外の景色を見せてくれたのは、この帰り道の雰囲気だった。
今思えば、「慣れ」に何度私は救われたかわからない。
ルーティーンは私の脳の動きを減速させる。
そして時間がたてばその動きはぴたりと止まり、
ただ流れるように動く私に身を任せる。
灯台の光、誰かによって作成された音楽のプレイリスト、
ある季節に寄り添った歌を作った人、その歌を歌う人、
ゆっくりと自転車を漕ぐ違う誰か、今日話した友達の何気ない言葉、
頬を掠める秋風、その秋風を初めて感じ体得した私の過去のいつか。

誰かの小さな、けれど確実に熱をもった愛に、
その時一瞬一瞬を生かされているのだ。
そう思った。
愛が無くては生きていけないなんてそんな女々しいこと、
絶対に思いたくなかった。
けれど、悲しいことに、そして優しいことに、
私は誰かの、いつかの、そして今足もとに転がっている愛を
拾い上げては前を向いて今まで生きてきた。
それは認めざるをえなかった。
認めなかったら、
今感じているこのやわらかな風と道路沿いの明かりを
共有する居場所が私にはなくなってしまうと思った。

淡く沈む夜の暗闇、そこに煌めく星々。
隣を通る少年たちの笑い声、手をつないで歩く母と子。
風に吹かれ揺れる草木、訪ねてくるかわからない誰かをそっと待つお店の照明。
誰かの愛で生きている。私も誰かの命を少しでも、引き延ばすことはできているだろうか。
今まで目を背けていたその現実は、案外暖かかった。
気持ちの悪いぬるさはなく、
そのすがすがしさは、あがくことなく冬にその場を譲る、
清潔な秋風のようだった。