その娘、危険なワイフ【連載小説】(12/22)



【続、2016年12月25日(日)】
 飲み物が足りないから買い出しに行こうという話になる。
 まず今のゲームで最下位になってしまった鈴汝さんが席を立とうとすると、五十嵐さんがそれを制した。杉田さんが「ビリ2までか?」と尋ねる。
「え、この寒い中連れ出して女の子に重いもん持たせるの? 正気?」
 言いながら立ち上がる。
「こういうのは黙ってメンズが動くの。ハイ、行くよ」

 大きな足音が聞こえなくなると、伊織さんが「じゃあカンタンにつまめる物でも作ろうかしら」と言ってスラリと立ち上がった。
 ネイビーを基調としたデザインのキッチン。キレイではあるものの、その天面は生活を感じさせる鈍い光り方をしている。冷蔵庫から取り出したのはニンジンとタマネギ、袋に入ったウインナー。
「何作りますか?」と聞いたのは鈴汝さん。「ケチャップライス」と聞いて、すぐさま動き出す。伊織さんは冷凍庫から個食に分けたご飯を3つ取り出すと「はい、一葉ちゃんコレチンして」と言った。
 くるくる回るご飯。振り返ると同時に「はい、次これ切って」と言われる。タマネギ。細かく刻んでいくと目が痛くなり、鼻がツンとした。鈴汝さんはニンジンを刻み終わってウインナーを切っている。
「ピーマンとかないですか?」
「そうよね。あると色味はいいんだけど、嫌がるのがいるの」
 みんなで楽しくワイワイやる時くらいはいいにしてあげて、そう言うと、伊織さん自身は透明な餃子の生地みたいなものにレタスと、チーズと、生ハムを巻いて並べていく。後から知ったが、あれは生春巻きというらしい。
 卵がジュッと焼ける音がした。やわらかく成形した段階で取り出す。
「まだかかりそう?」
 火が通りづらいニンジンが先だと思って油断していたが、そんなニンジンはいつの間にか簡易蒸し器に入れられて電子レンジでくるくる回っていた。
「もう大丈夫です」
 目が痛い。頑張って刻んだタマネギは、火を通さずとも既に透明に近い。
「じゃあ入れてもらっていいかしら」
 言われた通りタマネギを入れると、鈴汝さんは火が通った段階で片側に寄せ、ケチャップを入れた。ジュッという音がする。酸味と甘味。美味しそうな匂いが立ち上る。
 伊織さんが「はい」と言ってキッチンペーパーにくるんだニンジンを投入する。ウインナーを投入する。ご飯を投入する。
 別のお皿にはスライスしたトマト。余ったチーズを添えてパセリを散らす。
「私達はこっちー」
 前もってこっそり作っておいたらしい。タコとパプリカ、きゅうりの入ったグラス。
被らない色味。見た目にも美味しいそれは、カンタンにあたし達のテンションを上げた。その喜びに、否が応でも東京にある冷蔵庫が照らし出される。

〈じゃあ入れてもらっていいかしら〉〈私達はこっちー〉
 クリスマスを彩るローストチキンを中心に、あっという間にテーブルを埋め尽くす皿。
 タマネギを炒めた後の工程。誰かの好みに合わせるだけじゃなく、みんなが楽しめるものを準備すること。
 帰る前から反応が浮かぶようなそのテーブルに、静かに打ちのめされる。
 大人になるというのは、与えられたものを学ぶだけではいけないのだと知る。自分で足りない所を見つけて、自ら掴みにいくことを求められる。そうしてやっと、歪な円グラフがまん丸に近づいていく。
「料理、お得意なんですね」
 発しておいて自分の声でないように思えた。心を介さずに話すようにすると、耳もまた他人事として働こうとするようだ。伊織さんは「得意じゃないわよう。カンタンなものだけ」と謙遜するが、じゃあそんなカンタンなものもできない自分は一体何なんだろう。
 料理、という単語の持つ力は大きい。さすが三大欲求の一つを司るだけある。料理ができる、というのはそれだけで女性として優れているように思えた。
「義務にしない方がいいと思うわ」
 顔色から何かを察したのだろう。伊織さんはそう言うと、冷蔵庫からきゅうりを出して水で洗うと、頭とおしりをチョン、チョンと切った。小皿に胡麻ドレをたっぷり出す。
「はい」
 渡されたのはまさか料理ではない。きゅうりと胡麻ドレ。
「コレ、最強」
 つけて齧ると、訳もなく声がにじんだ。
「……。……確かに最強ですね」
 鈴汝さんが後ろからギュッと抱きしめてくれる。
「いいの。頑張る力は男の人の方が強いから。だから私達は抜くとこ抜いて、ご機嫌に過ごすの。いいの。いつだって完璧じゃなくても。自分を甘やかすことも大事。じゃないと甘やかせないわ」
 童心に帰る。母がずっと母であるように、大人はずっと大人のままだと思っていた。でも考えてみれば、大人も子供の延長だった。好きに行ったり来たりしてもいいのだ。
 ふ、と息をつく。強張っていた肩の力が抜ける。
「大丈夫。目的ができた時、勝手にできるようになることだから。自分だけが食べる内には、自分だけが楽しめればそれでいいの」
 言ってきゅうりを二本取り出す。そのストック分が、そのまま伊織さん本体にも見えた。
「はい」
 鈴汝さんも受け取る。先っぽを齧って捨てる。もはや包丁やまな板さえ要らない。
 鈴汝さんも笑った。笑ってあたしをギュッと抱きしめた。

 その後、杉田さんが「帰る」と言うのに合わせて時計を見る。時刻は18時半。日も高い内から随分長居をしてしまった。
 今回ここには「午前中の所要の関係で、帰り道回っていける」という鈴汝さんに乗せて来てもらった。道中、東京での一人暮らしの生活を聞かれて「便利だけど、時々自分が機械になった気になる」とか「だからたまに親切にされるとじんと来る」とか、よそゆきの答えしかできなかったが、鈴汝さんは「そう」と目を細めた。
「行ってよかった?」
「はい」と応えると「それならいいわ」と言った。寄り添うような、とても静かなやりとりだった。
 太陽の光の恩恵を受けない外は、冷気だけを持て余している。少しでもあたたかそうな対象を見つけると同じ色に染めずにはいられない。
「帰りは僕が送るよ」
 さっさと帰ってしまった杉田さん。ちょっと名残惜しそうだったけど、チャーハンを抱えたまま「また集合かけるからな。絶対来いよ」と言ってドアを閉めた五十嵐さん。伊織さんはその奥で洗い物をしていた。だからそれは極寒の中でのやりとり。
「大丈夫ですよ。大した距離じゃないですし」
「それでも行って帰ってだろ? ここから往復20分だとして、自分なら5分で済む」
 鈴汝さんが寒さに首をすくめた状態で「でも」と言う。進んで乗せて来たのは自分だと気にしているのだろう。
「でも最終的に決めるのは本人か。どうする?」
 突然振り向かれてハッとする。
 今のやりとりだと確実に寺岡さんにお願いした方がいい。もしかしたら鈴汝さんは本当に大したことじゃないと思っているかもしれないけれど、同じ好意に甘えるなら少しでもかける労力の少ない方が頼みやすかった。

「……。……で、君の答えがこれだと」
 狭い車内。
 迷った挙句、寺岡さんに送ってもらうことにすると、後部座席に乗り込んだ。バックミラー越しにやりとりするのは、それはそれで緊張するため、運転席の真後ろに座る。
 言いながら寺岡さんは笑っていた。しょうもないことをしていると思ったのかもしれない。
 サイドブレーキを外すとアクセルを踏む。ゆっくり動き出す車体。
「聞いてもいいかな」
 何を聞かれるか分からず、はいともいいえとも応えるタイミングを逃してしまう。
 気に留めることなく寺岡さんは続けた。
「登録名、何で『イチ』なの? 君の名前はカズハだよね?」






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