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愛か金か



「それ」はまるで身体に悪いと分かっていながら口にするジャンクフードが如く。
 どこかドラッグじみた、分かりやすい快楽。本能で求める一時のイメージ。



♯Love catcher
♯金
♯投資
♯断捨離
♯恋
♯物語
♯読書
♯本当の豊かさ



 基本的に恋愛をテーマにした映画は見ない。少女漫画の9割が恋愛もので構成されるように、放っておいても入ってくるから。自ら足を運ぶものには、労力を割く「何か」を求める。ドーパミンに関わりの深い恋、一時の満足がためのジャンクフード、そこに金を並べてみる。

 金である。それは己が欲望を満たすための媒体であり権化、つまりは欲そのもの。剥き出しの欲は、集団のために個を潜ませてきた「恥じらい」を根にもつ日本人にとって忌み嫌われやすく、時に悪の象徴とされることもある。
 ただ、2025年問題始め、今後間違いなく増税の煽りを受けると分かっている以上、一度はきちんと向き合わなければいけない問題でもある。私自身、まず取られる分を減らそうと、入りは節税から。とりあえず書籍『お金の大学』を参考に、ベースを整備する。一旦基盤さえできて仕舞えば、金はオートで決まったルートを辿る。贅肉削って身軽になることは、どこか断捨離に近しい。一瞬で把握できる環境は無駄を削る。さて。

 分かりやすいメリットだからこそ、動いた分だけ成果が見えるからこそ、この金周りの整備というのはハマりやすい。けれど一方で、ふと顔を上げた時、何とも言えない虚無感がある。これは一度でも物語に価値を見出した人ならわかると思うのだが、そこに言葉以上の深さがなく、1に対して得られるのは純粋な1。ポイントはつかない。複利効果とか不労所得とか、言ったところで現金扱い。


 実際、豊かなものほど目には見えない。
 例えば物を買うより経験を買えとかそういう類の。例えば。




 これは資産運用、投資の話をする人たちがあげる書籍の一つで、けれど(あくまで私視点で)「これ、一章だけでよくね?」という感性。残りは延々と同じようなことをマトリョーシカの如く繰り返してる。ただデータの提示の仕方がいかにもそれっぽくて「これ読んだ」って言うだけでなんだか頭良さそうに思える。だからこそ取り上げている人を見るたび、どこか頭よく見せたいんだろうな、と思ってしまう(あくまで私視点で)まあ恩恵を受けている身なので口は慎むよ(慎むとは)

 無論、書く側はいい。書くためにタイトルとなる本体に限らず、さまざまな文献にあたってバックグラウンドから整備しているから。ただ、そんな誰かの努力の上澄みだけをすくい続けている人は、年間何百冊読んでいようと、私にとって「すごいって言われたい人」
 参考までに対比をあげておく。

角度によってはおいしそう


 例えばこういうの書く人がいたとする。
 これ、初見で「読むのどんだけ時間かかるんだろう」って不安になると思うんだけど、大丈夫、想像の10倍はかかるから。物理的にこれを10倍にしたらきちんとアコーディオン化できる。鳴るのは悲鳴。いいか。
 これ、物理的にも厚いクセに一文一文が重い。的確に真理を突いてくる。真理ってのは置き換えが可能で、つまり生半可自分ごととして落とし込むことができてしまうために、度々手が止まる。一文を種に、こんな記事一本作るイメージだ。
 たった一文、数文字から、例えば3000字を生み出す。そんな事実こそが私にとっての作品の価値であり、目に見えない豊かさの最たる例。加えて、この厚みでキレイに円を描く構成力にもうっとりさせられる。話を戻す。


 乾く。整備が済んだので、もうしばらく金とは距離を置きたい。じゃあなんでわざわざ乾くと分かっていてそっちに向かったという話である。社会問題は、まあ一つの建前に過ぎない。ぽけんとしたパンピーには「なにそれおいしいの?」案件。
 実害実利。そこに集約して仕舞えば、じゃあ「それ」は金と何が違うのという話だが、それに関しては有形無形、加えてそこから得られる豊かさ、深度で差別化を図る。

 恋である。手っ取り早い暇つぶしでありながら温度の高いそれは、自身の能力をわかりやすく補強し、客観性を身につけ、心身ともに美しさに傾ける。一月ほど前、ABEMAで「Love catcher」という番組をやっていた。10人の男女が愛か金か選択した上で8日間ともに過ごす。「愛、愛ならカップル成立」「愛、金なら金が500万ゲット」「金、金なら双方乙です」というものだ。
 最終、金でやってきた一人の女性が、相手の男性に向けて「もう私みたいなのに騙されないでね」と言い残す。振り返り、もらったブレスレットを無表情で外す様は、映画のワンシーンのようだった。

 金は裏切らない。心変わりもしない。
 己が欲望を満たすための媒体であり権化、つまりは欲そのもの。けれどこの女性が単にイメージで忌み嫌われ、悪の象徴とされるのは違う。彼女は彼女で目的があって、それを選んだに過ぎない。ただ、


 豊かなもの程目には見えない。
 先日行った行きつけのマッサージ、どうしようもない腰の重だるさを口にすると、後々「(コリが)『そこにいるのは分かってるんだ』と思いながら施術してました」と口にした。既に彼女は私にとってなくてはならない存在で、もっぱらの不安は結婚出産育児による現場離脱。だからたまにお菓子を持っていく。矮小な賄賂は隠しきれない不安の端くれ。

 彼女の力が必要なのは、私自身立ち仕事のため。違う。
 立ち仕事に加えてテニスをするためで、どこかに「寄る」というのは危ういのだ。間違ったフォームが怪我を誘発するように、きちんとならして分散して、最低限の労力で最大限の楽しみを享受する。そのための一手段が「(自分の身体をわかっている人による)マッサージを定期的に受ける」であり、これはすでに固定費に組み込んでいる。ただ、割高なそれをストレスなく捻出するために、言い訳が如く急速に整備したのが金回りの環境であって、たったひと月ばかりの枯渇は、その向こうにある必要なもののため。そう。
 全ては恋のため。恋に集中できる環境を整えるため。


 豊かなもの程目には見えない。
 努力は晒すものじゃない。それは恥じらいの中、意図せずにじむもの。
 目は口ほどに物を言う。


 ずっと恋をしている。
 私はテニスに、日本語に。
 ただ打つだけじゃない。本当に欲しいもののため、必要なものを揃えていく。
 ただ読むだけじゃない。創造のため、感性の反応する思想を取り込んでいく。

 そうして最終、「なぜか肌ツヤのいい生き物」というのが私の目標です。
















 余談だが「もう私みたいなのに騙されないでね」と言い残した女性が、後日スタッフが預かっていたという手紙を読む。全文は覚えていないが、印象に残ったのは「芯の強い所も、実は甘えん坊な所も全部好き」という一文。終始にこやかに朗読していた女性は、表情そのまま涙を浮かべた。天を仰ぐ。その後たった一言「間違えたあ」と言った。



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