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落ちこぼれに花束を【2000字】





 誕生日には花束を要求する女だ。単純にもらって嬉しいという以上に「恥ずかしいから買いに行くのが嫌だ」と抗う様子を楽しんでいる感は否めない。花はいくつになってももらって嬉しい。それに相応しい人であると言われているようで。


 花を買うために訪れた店のショウウィンドウ。ガラスケースに護られて佇むは色とりどりの生花。
 季節、客入り。華やか、という形容詞にはそぐわない、どこか寂しさの漂う余白多めの並びは、けれども個々が凛と独立しているがために、環境の影響を難なくいなす。
 ただそこにあるだけで美しい。

 本当にふいにだった。先日転職前の職場の上司に出くわした。年下。まだ幼さの残るようなキレイな頬をそのままに、その人は目を丸くすると「お久しぶりです」と頭を下げた。
 こみ上げる懐かしさ。けれど「前に一緒に働いていた」を始めとする「前に何らかの関わりがあった、現在における関係」は意外と難しい。そこには自分は元より、相手にとっての自分が顕著に現れるから。よくも悪くも本音が出てしまう。相手に対する正直な印象が見えてしまう。だから知り合いに会いそうになると、そのほとんどは避けてしまうというのが私の性質であり、それはそのまま対人関係における自信のなさを示している。

 懐かしさ。元上司は目を細めると「前の職場以来ですね」と言った。隣に旦那がいたため、苗字では呼べない。双方と面識のあるその人は、一通り現状を述べると「詩穂さん」と呼んだ。驚く。今ある人間関係、その九割は苗字でのやりとり。苗字は旦那のもの。だからいくら呼ばれ慣れても、時に自分事として受け止められないことがあった。
 結婚する前、私は私で独立した存在だった。けれども苗字が変わることで、存在丸ごと飲み込まれる。強い光が隣にあれば影になるしかない。私の顔色を伺うのは、私の機嫌が旦那に作用するため。そうした歪んだ人間関係は、私個人を卑屈に追い込んだ。

 思い出す。私は確かに使えなかった。利益にも結びつかなければ、生み出した損失の方が大きかった。元上司もそれは似ていて、お世辞にも人の上に立つ人の動きはできていなかった。それでも
「元気そうでよかった」
 くしゃり、と笑う。変わらない笑顔。フラットに、あのときのまま話ができるのは、お互い同じ所で同じように悩んだ仲間だったから(チームに憧れる個人主義者は、たとえ上の立場の者だろうと仲間と称したい。許してほしい)
 思うようにできなくて、夢の中で走るような、現実と理想のギャップに苦しむような、そんな必死な、格好悪い自分を見ていてくれる人がいた。一方的ではなく、同じ姿をさらす人がいた。そうして笑いあえた。それがどれほど幸せなことか。

「これ」
 スマホの画面をこっちに向ける。そこに映っていたのは私の落書き。何かをやり遂げた、成果を上げた、何かの節目、記念。そんなものとは無縁な、それはただの日常の一ページ。その時笑ったこと。五年前の思い出が鮮やかに蘇る。内容こそ覚えていなくても、感情、印象が去来する。自分は確かにそこにいたと、そこで笑っていたことを思い出す。私は

 落ちこぼれな自分を消したかった。情報をアップデートして、振り切るようにイキってた自分を消したかった。いくら化粧が上手くなったって、隠せない人間性はあるのに。
 落ちこぼれな自分を消す事は、必死でもがいていた努力、その時一緒に走っていた人、見てくれていた人を消す事。私は役に立たなかった。それでもそこに生きていて、人の記憶に残っていた。


 
 ショウウィンドウ。ガラスケースに護られて佇むは色とりどりの生花。
 胸が苦しくなったのは、そのどこか孤独をまとう凛とした佇まいが、息を呑むほど美しかったため。美しさ。失われていくもの。合わなくなる色味。ふさわしくない自分になっていくこと。けれど、

 スマホをかざしてはにかんだその人は「どうしても言いたかった」そう言い残すと立ち去った。それは思いがけずもらった花束。色味が合わないなんてことはない。だってそれは確かに私の中にあったもの。
 色づく。優しく色づく。
 努力を。元上司は今後の展望を口にした。
 努力を。口にしなくても私にもなりたい自分がある。
 隣である必要は無い。同じように走っている相手がいること。いると思えること。それだけで満ちる思いがある。
 自分にも渡せる花束があるかもしれない。それが枯れない、その人の中でのみ色づくものなら、きっと喜んでもらえる。
 そうして未来の自分が喜ぶような花束を今作っていけたら、歳をとるのも悪くないと思えるようになるのかもしれない。相変わらずハッピーな脳みそしてる。


 落ちこぼれに花束を。
 いつの日か、お互いなりたい自分になって再会出来ますように。


 





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