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『母性』からの派生(母の視点)



 子供のいない夫婦がペットを飼うことは世間一般にはかわいそうなことらしい。村山由佳さんがエッセイで書いていたが(彼女自身も子供がいず、『星々の舟』の作品中で登場人物を通じてごめんなさいと言っているのが印象に残っている)分からないでもない。私自身妊活中、子なしの先輩がうれしそうに犬の話をしているのを見た時、どこか上から目線の同情めいた感覚があったのを記憶している。まあ当事者となった今、周りにどう思われようと自分自身が満足していれば何の問題もないと思える訳だが。

 旦那は愛猫おかゆに声をかける時「パパだよ」と言う。言って追いかけ回すから娘は逃げる逃げる。人間で言えば女子高生くらいの年頃の女の子だと言うのに、なかなか理解できないのかハナっから理解するつもりがないのか。とにかく強引に捕まえては「ホラ、仲良し」とニコニコしている。おかゆは目を合わさない。心中察する。
 かわいそうだろうか。
 私はこんなままごとじみた家族を、不器用ながら大事に大事に慈しむ旦那に、感謝以上の言葉が見つからない。
「今日はママお休みだから、一日一緒にいられてよかったね」
 観念したように見える愛猫は、明後日の方向を向いたまま力を抜く。



 FIFAサッカーワールドカップ。今年は世界の2人に1人が見ていたという。国内だけでも大変な盛り上がりようだったが、私自身、中村憲剛さんが引退してからというもの、サッカー自体全く見なくなってしまったため、フロンターレの三苫選手が大活躍という情報に、少し胸が躍った程度だった。
 いずれにしてもそれだけの市場があれば、莫大な金銭のやり取りが生まれる。これだけのポテンシャルを秘めていると分かれば、次回はもとより、オリンピックの在り方もさらに欲深くなるのは目に見えていた。

 そもそもオリンピック自体「平和の祭典」などではなく、本を糺せば「統一国家のなかったギリシャで乱立していた都市国家同士の争いを、一時的にでも休戦に持ち込むための言い訳」として設定されたものであり、この休戦を利用して外交交渉の場が設けられ、結果的に終戦に向かったため「平和の祭典」と称されるに至っただけのこと。
 ここから大会の規模が大きくなるにつれ、祖国の威信と栄誉をかけて莫大な賞金をかけられるようになり、加えて第一次世界大戦時、オリンピックという「絶対だったはずの停戦の言い訳」があっさり「開催中止」とされることで、もはや存在意義を失ったのに、結局金のために翌年からしれっと復活して開催され続けている。根っこはこれと一緒だ。

 金が動くということは、働き口が生まれるということ。日本のスラム街とされる西成あいりん地区や東京山谷だって、元を辿れば復興を目的とした大規模な求人に集まってきた人達が残った場所で、光の側には必ず闇が生まれる。話を戻す。


 FIFAサッカーワールドカップが開催された首都カタールでも、ワールドカップに向けての求人があった。貧しい農村では若かろうと稼げる額が限られていて、特に幼子を持つ家庭の大黒柱こそがそんな求人に殺到した。現地に向かう船に乗るにも金がかかるため、不足分は借金をして、現地で働いて返すつもりだった。
 けれども現実、常軌を逸した猛暑の中で延々と働かされ、体調を崩し、命を落とした人が大勢いたという。「持病もなく元気だった」大黒柱を失って、けれども渡航費だけが残る。残された母と幼子は、セーフティーネットもないままその日暮らしを余儀なくされる。
 寡婦は国によって恥とされ、ひどく差別を受けるようで、望んでなった訳でなくとも望まない生き方を選ばなければいけないこともある。幼子を抱えていれば、安易に自死を選ぶこともできない。
「死んでもいいから」
 命に重いも軽いもないはずなのに、湧いて出る労働力に対して使い捨てが適応される。一連の案件に対して主催者は「普通に寝て起きていても次の日死ぬことってあるよね」という趣旨のコメントをしたという。時代は令和だというのに、明治時代の網走監獄さながら。とにかく期日までに施設を完成させることが最優先だった。さて。


 とある一家の猫の話をしていた冒頭まで戻るが、今私がままごとじみた、けれども幸せな家庭で、愛猫を膝に乗せてこうして書いていることは当たり前のことじゃない。ともすれば寒空の下、放り出される可能性だってあった訳で、子を産めないとなればもっと条件は酷かったに違いない。
 日本に生まれた。ただそれだけで、住処も最低限度の生活も保障されている。本来「かわいそう」とも言えない程、目を背けられる程の現実があったかもしれないのだ。
 過去にも出した気がするが、チャップリンの「独裁者」の演説を再度紹介する。

〈世界には全人類を養う富がある〉
〈知識より思いやりが必要である。思いやりがないと暴力だけが残る〉
〈これらの人々は罪なくして苦しんでいる〉

 憤り(感情)と行く先の提示(理性)
 たった4分に込められた願いは、何度繰り返しても涙なしに見られない。
 何者でもない1人の女が地方の片隅で愛を叫んだ所で何も変わらない。けれどあくまで私はサンプルの一つ。検体を通じてあなたが感じるものがあればいい。

 こんなままごとみたいな日常が、ままごとじゃなく当たり前の世界になりますように。

 ねえ、おかゆ。




参考:『現代への教訓!世界史』神野正史






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