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人はそれを寂しさと呼ぶ(後編)【feat.ナオト】



 交代で外から見る。ナオトは驚くほど腰を落としてリターンする。

 ストロークは大別して二種類あり、「身体を正面に向けたまま、回転運動で上に力を放出するタイプのオープンスタンス」と「身体を横に向けて、前後運動で前に力を放出するタイプのクローズスタンス」がある。人によってどっちかに寄ったり、攻撃、守備で打ち分けたりすることもあるが、基本スタンスとしてオープンはメガネくん、玉ちゃん。クローズはソウさん、レッド、ついでに私(番外編としてひここはその中間のスクエアスタンスに見える)

 そうしてナオトもまたクローズだった。腰を落として、目線の高さを変えずに返球する。だから打球はネットの30センチ上を通って、ベースライン付近に落ちる。極めて質の高い回転量と深さ。それだけでこの男のストロークのレベルが計れた。「クローズスタンス」で「ストロークを好む」プレイヤー。ナオトは私の目指すべき型を持っていた。ソウさんと同じ、美しいお手本だった。

 先にも伝えたが、この日の出席者は5人。だから交代は早い。その後対戦相手として向き合った時、2本、アドサイドでリターンミスをした。前に少し触れたが、縦回転のサーブ。この種の打球は私にとって大の天敵。加えて一歩でも横に走らされると力が前に向かわず、全然飛ばなくなる。リターンは2本ともネットを越えることはなかった。

 必要なのはまず定位置を下げること。そこから助走をつけて、前に押し出す。打球の伸び、打点を上げられることを加味した上で、上から押さえ込むこと。いいコースなら完全に取れない。けれどまずネットを越えなければ始まれもしない。いつだって100%なんてない。必要なのは確率を張る度胸だった。

 結局ナオトのサービスゲームは、決して1STの確率がよかった訳ではないにも関わらず、サーブ4本で終わった。加えてこれはただのミスではない。似たようなサーブを打つ男と打つ機会があるにも関わらずのこの結果は、一本目で変われなかった自身の不甲斐なさを浮き彫りにした。


 その後、最後にもう一度だけナオトと組む機会があった。雁行陣でのラリーからのドロップボレー。その打球の予感が脳裏に走った瞬間、駆け出す。「それ」は私にとってのビーチフラッグス。ただし一歩目に制限はない。合図を待たずともスタートしてOK。

 私自身、走るのは好きではない。ただ「できると好きは違う」の典型例で、好きではないけれど仕事として成果を上げるくらいには能力として備わっている。だから定期的にマラソンに出ている人やジムに通う人は本当にすごいと思う。とても自分には真似できない。私が走る理由はただ一つ「自分のコートに落ちたボールがまだ2回バウンドしていないから」逆にそこに通じるなら、別にトレーニングとして走ることは厭わなかった。

 だから届く。初めて見る人は引く。ナオトが位置を下げた。

「入ってる!」

 知ってるよ。打球は少し甘いショートクロス。相手は届かずポイントになった。


 その日はナオトにサーブ4本でゲームを取られたことを除いて、おおむね満足のいく出来だった。その感覚を忘れずにいるために書き残している時、ふと最後に聞いた声が蘇った。

〈入ってる!〉

 あの時は私の足を知らない男が賞賛として上げた声だと思った。けれどあの時、考えてみれば、

 あの時、相手のコートに入ったボールは、まだ2度バウンドしていなかった。

 あの時、ナオトはすぐ様下がった。前衛にしろ後衛にしろ、追いついた相手が打ってくるであろう打球を想定して。あれは、あの声は。


〈いいから戻れ!〉


 ザワ、とする。途端、背筋が焼けた。

 これだよ。これが爪が甘いってやつだよ。

 焦燥。今更の気づき。心臓が喉元で音を立て始める。頭を抱える。あの時、私と同じような執着を持った相手によって返り討ちに合っていたかもしれなかった。私はあの時、返球したらすぐ様センターに張るべきだった。

 背筋が焼けたのは、あの男が私を信じたからだ。一プレイヤーとして当てにしたからだ。全て自分で賄おうとする男性が多い中で、ちゃんと私を頼ったからだ。それを、ちゃんと受け取れなかった。そのことが何より悔しかった。

 ボレーの時は自分が一本で決められないと分かっているからすぐ体勢を整えた。大事なのは大きな山を越えた直後。「打った後見て」ちゃダメなのだ。まだ終わっていない。鉤括弧は閉じていないのだから。


 大きく息を吸って、吐く。こんな時、似たようなミスをしがちな仕事をしていてよかったと思う。マジでダメだと叩き込める。


 次に会う時には受け取れるように。

 そうして私はもう、組む相手を選ばなくなる。






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