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ただ友達になりたかった(3/3)【feat.メガネくん】




 涙が出るかと思った。
 練習する程、何かを手に入れる程、得られるのはいいものばかりではなかった。時に男性に打ち勝ってしまった時、あからさまに卑屈な視線を向けられるのを感じた時、本当は小さくあるべきなんだろうなと思った。ごめんなさい、そんなつもりはなかったんです、って。笑って身の程をわきまえるような。「本気になってはいけない」と自分を律して。全てはテニスがため。テニスのできる場所を失わないため。でも、だから、その圧倒的な実力差に、覚えたのは安堵。想いの強さ故の、自分がバケモノにならずに済む。本気になっても大丈夫。本気になっても適わない人が今目の前にいるという、ただそれだけで息ができる気がした。

 オリエンタルラジオの藤森が笑いながら言った。
「我々はもう逃げられませんから」
 傷ついてもどうあっても中田敦彦から逃れられない、腹を括って生きるしかない。その様子は、助手席で笑う福田萌も含めて心底楽しそう。

 何度でも思い返す。何であの日ラケットをとってしまったのか。
 手に入れたものは多い。けれども引き換えにしたものも多い。
 そんな喜びと悲しみ。感情の起伏。知ってしまったらもう後戻りできない。タバコとかドラッグとか、ダメだと頭で分かっていてもやめられないものがあるように、それは「偶然私にとって周りから健全なものに区分されるものが対象だった」というだけで、この競技もまた危険物に違いない。
 喜びと悲しみ。似たような打球。何はなくとも伝わる、共有できてしまう罪深さ。この競技への想いの分だけ増す依存度。
「我々はもう逃げられませんから」
 笑い合う二人。それがどうしようもなく羨ましかった。
 ただ友達になりたかった。並んで、同じものを別の角度から評するような、新鮮な価値観に触れたかった。ただそれだけなのに、周りの視線が、旦那のコーチの視線が変にメガネくんを巻き込むような気がして近づけない。テニスが好きで、ただそれを共有したいだけなのに。
 生半可呼ぶんじゃなかった。でも人数分の一ではなかった。メガネくんが右も左も取れるとなった時「そっちを選んだら喜ぶ子がいるなら」と選択して欲しかった。私がサーブに向かった時、自然とリターンに入るような、そんな必ずしも確率に依らない二分の一がどうしても欲しかった。
「この日なら振替で行けます」
「あ、この日なら多分いると思う」
「多分」
「うん。……あ、でもいると思う。あ、います」
 コートを出ると、元のメガネくんだった。
 話し込んではいけない。早くこの人から離れなければいけない。
「分かりました。それではお疲れ様です」
 早々に振り返った時、かけられた声。
「お待ちしてます」

 男女間の友情は成立するか。そんなのいいよ、勝手に議論しててよ。
 誰も裁かないで。そんな権利、誰にもないでしょう。
 人ではない対象に性的興奮を覚えること、その理解しがたいマイノリティを書いた朝井リョウさんの「正欲」以前別で感想文にしたためたが、本当に書きたかったのはこっちだ。あの時は怖くて書けなかった。言い回しひとつで間違って取られる可能性がある気がして。
 本文中、最も印象的な一文。
〈いなくならないで〉
 互いに対して興奮はしない。けれども同じ感性を持つ者と出会えた。孤独ではないと知った時、腹の底から湧き起こる感情。切望。もう一人では立てないと感じる程の唯一。私のメガネくんに対する思いの正体は、限りなくこれに近い。たぶん。間違いない。あの時訳もなく涙が止まらなくて「あなたはこうですね」「何で分かるんですか」そのもの。


 結局約束した日、メガネくんは現れなかった。傷つかない訳じゃない。でもハナっから両思いなんてなくて、あったとしても片思いと片思い。だから「いた」と思えたあの日から既に満たされてる。メガネくんは自分のテニスをする。それだけでいい。いなくならなければいい。いずれまた巡り合う。そうでなくても「実際は打っていないにも関わらず打っていたかのような錯覚」がごとく、例え真実いなくなったとしても「打てるかもしれない」という希望さえ失わなければ、私は永遠に幸せだ。そこに後ろめたさはない。だから。
 男女間の友情なんて成立しなくていい。ただそんな風に大切に思える相手がいるだけで。それ以上は望まない。ありがとう神サマ。
















ああ、それでも打ちたかったなあ。






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