見出し画像

#1 精神看護と子育てと。老子の格言『授人以魚 不如授人以漁』

✍️老子の格言「授人以魚 不如授人以漁」


「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」(=ある人に魚を与えたらその人は一日食べていけるが、魚の捕り方を教えたら一生食べていける)
ということ。


訪問看護師時代に上司から教わり、まさにその通りだなと痛感した言葉です。

訪問看護ステーションごとに特色がありますが、私の勤めていた職場(精神科訪問看護)では、利用者の皆さまに「卒業」していただくことを目標としていました。
利用者が支援を受け続けるのではなく、最終的に自身で生活を組み立てていけるようにする。そのための支援です。

漫然と支援を継続してお金を貰える人から貰い続ければ、会社としては儲かるのです。
しかしそうではなく、きちんと卒業を視野に入れ、一人一人のセルフケア能力を高めるケアを提供している点で、素敵な会社だなと誇りを持って働いていました。

あれ、何の話をしようと思って書き始めたんだっけ。

そうそう。子育てをする中でもこれを念頭に置きながら関わっているな、ということです。
精神看護と子育ては通ずる点が多いとつくづく感じているので、「精神看護と子育てと。」というテーマで気ままに書き留めていこうと思います。

✍️どこまで見守り、どこから手を貸すか

長い前置きになりますが、我が家では現在、2歳長女と毎日自宅保育で過ごしています。(2週間後には長男が産まれる予定。やったね!無事に出てきてくれよ!)

育休明けに復職しようかハゲそうなほど悩んだ末に、今しかないこの時期を贅沢に堪能しようと、一旦退職することにしました。
この先どう生きていこう。ひとまず、下の子が幼稚園に入るまでは自宅保育しながら過ごそうか…。

余談にはなりますが、
●医療の仕事も好きだけど、人生一度きりだから他の分野にも挑戦してみたい。(コピーライティング、webライティング、作詞などに興味あり)
●医療職に復職するにしても、他の分野での経験が大いに活きる。これは間違いない。
●そもそも、自分の収入が全くないのは落ち着かない。やだやだっ!家事育児だけしてるのは性に合わない!稼げるだけ稼いでやるんだっ!
母・妻役割はそれなりに果たせていると思うが、一個人として今以上に「何者」かになりたいんだっ…!

そんな思いから、自宅保育をしつつ、細々とココナラでできることに取り組んでいます。自信を持って「在宅ワークしてます」と言えないほど、本当に細々と。お小遣い程度の収入。
https://coconala.com/users/1511883

加えていろんな公募で力試しをして、自分が今興味のある分野にどれほど向いているのか、情報収集しつつ適性を図る。
闇雲に飛び込むのも悪くないが(そういうのが大事だったりもする)、ひとまずは慎重に。

この先とにかく貯金をしないといけないので、他に手段がなければ大人しく看護師・保健師として再就職しますが、期限付きでいろんなことにチャレンジしている時期です。


前置きが長すぎましたが、そんな想いがある中で、平日は基本的に娘とマンツーマン。疲れる。どっと疲れる。しあわせ疲れ。
子供と近い距離感で過ごす中で、本当にいろんな出来事がありますが、その都度「どこまで見守り、どこから手を貸すか」熟考しています。

学生時代の座学や看護師の経験上、必要以上に手を貸してしまうと、相手が本来持つ力を奪ってしまいかねないことは承知しています。

乳幼児の心理に関するユニークな概念を数多く生み出したイギリスの精神分析家・小児科医のウィニコットの言葉に「ほど良い母親(Good enough mother)」というものがあります。これは、いわゆる普通の"ほどほどに良い"母親のことです。

 ウィニコットは、完璧な母親による完璧な育児ではなく、この「ほど良い母親」によるほどほどの育児こそが乳児にとって大事だと考えました*1。「ほど良い母親」は、赤ちゃんの欲求に完璧に応えることは出来ません。時に見当違いのことをし、時に対応が遅くなり、時に応じられないこともあります。しかし、この不完全さこそ、赤ちゃんが自分の外側にある世界に気づいていくために必要なのです。

中野カウンセリングオフィスHPより


そんなわけで、「最低限安全な環境を整えてあげるから、大けがしない程度に、まずは自分で色々と試して冒険してみなさいな」というのが、私の育児モットーです。

一人でできることはやらせてあげる、見守りや一部介助でできることは最低限手を貸す、全介助したほうがいいことは全介助する。そこを見極めながら関わっています。
とはいえ、まだまだ2歳の甘えたさん。普段は難なくできることでも「今日はやってもらいたいんだよバブぅ」という気分の時もあるでしょう。

(どこまで自分でやってもらおうかな〜、もう少し見守ろうかな〜、そろそろ時間と私自身の余裕がなくなってくるから手を出しちゃったほうが早いな〜、いやでももう少し見守ろうかな〜…)

どうしようかなと迷った時にいつも思い出すのは、看護実習での出来事です。

✍️大学3年、初めての精神科看護実習

受け持ちの患者さんから「病室の温度を下げてほしいって、看護師さんに伝えてください」と頼まれた。
その通りに伝えると、看護師からは「あ〜!〇〇さんにうまいこと使われちゃったね」と。
はて、どういうことだろう。

決して嫌味なニュアンスではなく、言葉の本意としては「精神科で治療をしている患者さんは、人との関わりでうまくいかないことが多いから、要求を自分で直接伝えるというのも治療の一つなんだよ」、「病室にこもりがちな患者さんだから、ナースステーションまで自分で歩いてくることも大事なんだよ」と。

精神科の治療、面白いじゃねぇか!

よし、患者さんの活動範囲を広げるためにも、低下してしまった対人能力を取り戻すためにも、できることはなるべくご自身でやっていただこうじゃありませんか。それが看護というものだな。そういや、座学でも散々「自力の活用が大事です」と言われてきたな。

そう思い、大学側の指導教員にその日の学びを伝えたところ、「必ずしもそうとは限らないんじゃないかな。ほら、私たちだって人に甘えたい時はあるじゃん?普段は自分でやってるけど、今日は疲れたからやってもらいたいな〜って」と。

ぐぬぬ。そうきましたか。
看護実習あるあるの「病棟看護師と大学の指導教員との間で意見が割れる」やつ。
特に精神科での治療は、医療者自身の価値観が大きく反映されるので、いろんなアプローチがあって面白い。おもしろむずかしい。

当時の私は病棟看護師の考えに近かったのですが、大学教員の言葉がじわじわと沁みてきたのは、数年後看護師になってから。

✍️厚意を厚意として受け取れない in マッサージ店

夜勤明けに、疲労困憊でマッサージ店に駆け込んだときのこと。
セラピストさんが「ご自宅でこんなふうにマッサージするといいですよ。ここの筋肉が云々かんぬん、神経が…」とご丁寧に伝えてくれた。

きっと、マッサージに通わずにセルフケアで賄えるのがお客さんにとって幸せなことだろう、セルフケア能力を高めることが大事だろう、という想いからでしょう。
実際そうだ。マッサージ、結構お金がかかる。通わなくて済むなら、それが一番なんだよなぁ。

あれ、これどっかで聞いたことあるわ。冒頭に話した、前職の訪問看護ステーションの特色じゃんか。

わかってる。セラピストさんが優しさ故に掛けてくださった言葉なのはわかってるんだ。

それでも「んなこたぁわかっとるんじゃ!今の時代、調べれりゃそんなもんいくらでも出てくる。そういうことじゃないんだわ、今はただひたすらに身を委ねたいんじゃ」と、少し苛立ってしまった自分がいた。

そこでようやく、前述した大学教員の言葉を思い出す。

ただひたすらに甘えたいときもあるよねぇ。
そうだよねぇ。それが人間ってもんだよねぇ。

✍️おわりに

精神医療や心理学の知識が増えるたびに、「理論上はそうだけどさ!そうなんだけど、人間そう簡単にはできてないよねぇ」と痛感します。
そういう不完全さに面白味や魅力を感じますし、これだから精神看護はやめられないぜと思ってしまいます。(あっ、退職したけど)


そういえば、職場の面談の際に上司から「自分の釣った魚を分け与えすぎていないか心配」と言われたことが印象に残っています。
自己犠牲や忍耐強さを美徳と履き違えていた時期もありましたが、もっと自分を大切にしようと思えるようになったのも、精神看護に携わって良かったと思う理由の一つ。

老子の言葉をお借りすると、大事なのは「相手が余裕があるときには魚の捕り方を教え、余裕がないときにはただ魚を分け与える。自分の魚を与えすぎない範囲で」
自分も然り。「余裕があるときには魚の捕り方を覚え、余裕がないときにはただ誰かに魚を分け与えてもらう。相手の魚を奪いすぎない範囲で」


子供相手にも大人相手にも、このことを忘れずに過ごしたいものです。

…ということを再確認したところで、今回はおしまい。

記念すべき初回note。最後までお目通しいただき、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?