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3.11 東日本大震災の記憶と記録 2



2011.03.11
当時、八戸に住んでいた
我が家の記録です

時間が経ち、
細かい記憶がだいぶ薄れてきていますが
前々から思い起こして
文章にしておきたいと思っていました。

今がその時なような気がして
書きはじめました。

今回は続編です。







一夜明けた3/12土曜日

天気は晴れ

春からの異動先、三重で
引き継ぎ
その他の仕事で
京都に出張中の夫、
八戸に戻るのはいつになるのか?


新幹線で戻る、はずだったけれど、
この事態で
飛行機で三沢着に変更。
取り敢えず、羽田に移動して
キャンセル待ちするとのこと。
ダメなら近くで泊まり
翌日の便を取る、とのことでした。

飛行機も空席待ちが集中し、
なかなか目処が立たない様子。

キャンセル待ちは100人以上とか。

成り行きに任せるしかないね
と話しました。


さて、私たちは、、、
水道、ガスは大丈夫。
飲み水もサーバーと、
水のストックもあったので
数日はやっていけそう。

常夜灯として点けていた懐中電灯が
一夜で切れてしまい、
また今夜のことを考えると、
乾電池を買いに行かないと。
(予備は必要ですね)
車で携帯を充電したいし、
何より、
車のエアコンで暖もとりたい。

というわけで
車で娘、息子の3人で車で出かけました。

道路はあちらこちらに
亀裂が見えましたが
幸いにも
車は流れています。
交差点では警察官の
手信号に従います。


まず、近くのコンビニから
順に入ると
すでに
乾電池は品切れ。
食品棚や飲み物も
品物がなくて陳列棚は
なんにもないような状態でした。

ガソリンも半分ほどだったので
これからのことを思うと
あまりうろうろすることも
できません。

スタンドも休業に
なっていたのでした。
(このあとすぐ緊急車両用に
なって更に給油はできないのですけどね)


いくつか空いてるコンビニや
スーパーをあたりましたが
探しているものはなく、
結局、ヤマダ電気にたどり着きました。

そこは海に近いところで
駐車場のあたりは進入を
規制もされていました。
津波の影響で辺り一帯が
被害を受けたようです。

店舗も一階は浸水しに。
水は引いたものの、泥水が残り
足元が危険だとのこと。
またいつ揺れるかわからない。

そのため、
店頭入り口で欲しいものを
店員さんに伝えて、
取ってきてもらって、
精算する、
という流れになっていました。

駐車場のスペースもままならなくて
混雑もあって停めるところがなく、
仕方なく停車したまま、
子供たちに買いに
行ってもらいました。


あとは、
インスタントのものを
2つほど買ったり
(あまり品物はなかったけど
あるうちに買っておかないと、、、
でも必要な分だけ)
そして帰宅しました。


明るいうちに
破損したものなど
片付けをして

何かしら温かいものを
食べられるよう
冷蔵庫のあるもの
(停電中なので、
もはやただの食品庫ですが)
で簡単に作ったりしました。


夫の方はようやく翌朝の
飛行機がとれ、帰ってくることが
決まりました。


まもなく陽が暮れて
暗くなり始めるころ、
早めに食事も済ませて
夜に備えました。

もちろん余震は続きます。


まだまだ時間は早いのですが
家はまた懐中電灯の灯りのみ。
気温が下がって
また寒くもなってきたし、
今夜も、もう寝るしかないかな
取り敢えず寝ようと、
着の身着の儘、
この日も早くに就寝。




そこから
どれくらいの時間がたったのか
わかりませんが、

突然、
部屋の明かりが点き
明るくなりました!
電気が復旧しました。
(今回、調べてみると20:00〜22:00
くらいだったようです)

「わ、灯りがついたよ!」
寝ている子供たちにいいました。

暖房も使えるようになりました。




お風呂の用意をしました。
子供たちも起き出して順々に。
やはり緊張しているのか
ほっとした気持ちになりました。

時折大きく揺れるので
入浴に長い時間はかけられませんが
お風呂に入れることは
ありがたいことです。

早くに復旧してくださったおかげで
暖房が使えるようになったり
お湯が使えるようになったのは
とてもありがたかったです。


そしてテレビを観て
おおよその状況がわかりました。


子供たちの学校はどうなるんだろう。

3月の引っ越しはどうなるんだろう。

兎にも角にも
住める家に早く戻さないと


いろいろなことを考えつつも
2日目が終わりました。


続きます。






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