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日本一小さな町のnote #13[詣]後編

日本一人口の少ない町・山梨県早川町の魅力をお伝えするnote、今回もカメラマンの鹿野がお送りいたします。というか前後編の後編(続き)です。

前編は↓こちら

その前編では霊山・七面山の歴史や、その麓の赤沢宿を紹介してきました。実は今回七面山を取り上げることにした理由のひとつは、僕のライフワーク(写真集『感應の霊峰 七面山』は出版から11年ですが、まだまだ発売中です)だから…というのもありますが、インターネットで七面山について検索をすると、たとえば「信仰がないので敬慎院に泊まれなかった」といった間違った情報が散見されるから。実際は信仰がなくてもOK。ただし修行の場なので最低限のルールはあります。またそれなりにハードな道のりなので、軽装で登るとか、日が暮れる頃にスタートするのもお勧めしません。

最近は登山そのものを目的で登る方も多く、富士山越しの御来光や宿坊での宿泊体験を求めて、外国人観光客も増えつつあります。ひとついえるのは予備知識があったほうが七面山は楽しめるということ。というわけで後編では、登るにあたってのご案内をいろいろ。

表参道の登山口がおよそ標高500m。敬慎院が1700mちょっと。高低差は1200m以上で、富士山を五合目から頂上まで登るのと実は大差がありません。参道の斜度は富士山よりもきつく、段々の道が続き、平坦な箇所はほとんどなし。おまけに樹木に覆われて眺望はほとんどなし。楽しい登山とはかけ離れた修行の道です。

また登山口を0丁、ゴール(表参道は敬慎院、北参道は奥之院)を50丁とし、1丁ごとに石灯籠が立てられています。以前、表参道の9丁目あたりを下っていたら、「もうすぐ頂上だ!」とうれしそうなおじさんとすれ違ったことがありました。残念でした。1丁は360尺=約109mで、表参道は約5.5kmになります。僕がGPSで測ると7~8kmありますが、ジグザグに歩けば何割かは増えるので、1丁360尺は概ね正しいのでしょう。石灯籠と石灯籠の間を5分ほどで歩けば休憩込みで4時間半〜5時間。これが一般には楽なペースかと思います。

その道のりを、白衣(びゃくえ)姿で南無妙法蓮華経と唱えながら登っている信者さんたちを目にします。もちろん若くて元気な方もいますが、金剛杖をつきながら7〜8時間かけて登るお年寄りも。懸命に歩を進める姿には頭が下がります。

もちろん白衣でなければ登れないわけではありません。装備は北アルプス・南アルプスほどの必要はありませんが、かといって高尾山くらいだと厳しいかも、というところです。季節にもよりますが、富士山くらいの感覚でよいかなと思います。足元は天気がよければスニーカーでも問題ありませんが、浮き石が多くて天候が急変することもあるので、防水性のあるトレッキングシューズが理想。服装も動きやすくて速乾性のものを選びましょう。上と下では気温が10度以上違いますし、吹きつける風も冷たいので、ウィンドブレーカー(できれば登山用の雨具)や手袋は必須。冬は積雪量も多く、それが踏み固められてツルツルに凍るので、1〜3月は軽アイゼンや凍結路用のスパイクも必要です。

前日はなんでもなかった道が、一晩で幻想的な銀世界に…
雪が踏み硬められ、2~3月はアイスバーンになることも。アイゼンは必須

表参道には2丁・神力坊、13丁・肝心坊、23丁・中適坊、36丁・晴雲坊と、休憩所も兼ねているお寺があります。今住職がいらっしゃるのは神力坊のみですが、それぞれ坊守の方がおり、水とトイレもあります。食料や水以外の飲み物は(冬は水道が凍るので水も)用意して登りましょう。またトイレには紙がないので、そのご用意も。

36丁晴雲坊を守るチエコおばあちゃん。現在99歳の七面山の生き字引。人気テレビ番組『ポツンと一軒家』に登場してから、おばあちゃんに会うために登ってくる人も多いとか。
索道の中継所まで上げた物資を、娘のヒトミさんが背負子で坊まで運ぶ。

そうして登山口を登ると、突然巨大な門が現れます。それが敬慎院の和光門です。さらに登ると富士山の遥拝所、そして敬慎院に辿り着きます。泊まる前提で説明すると、夕食が17時で、その前が入浴タイム(石鹸やシャンプーは使えませんが、山の上に温かいお風呂とシャワーがあるのです。なのでタオルをお忘れなく)。よって16時までに到着するのが理想です。なお敬慎院の精進潔斎の道場なので、和光門から先は殺生は禁止(つまり肉・魚・卵はNG)。だから持参したカップラーメンを食べることはできませんが、夕食と朝食には精進料理が用意されます。どんなメニューかは着いてのお楽しみですが、疲れた体にしみ入る食事です。しかもご飯と味噌汁は食べ放題。慣れた方はごま塩やわかめなど、禁忌に触れないふりかけを持参しています。また日帰りで訪れた場合にはこれを昼食としていただくこともできます。1食500円の贅沢ワンコインランチ。準備があるので事前に電話でお願いしておきましょう。

追記:敬慎院の宿泊について
1泊2食・御開帳料込みで6500円です。もちろん事前の予約(電話0556-45-2551)が必要です。

2013年に改修された和光門で、46丁と47丁の間。敬慎院まであとひと息
敬慎院本殿の裏手に広がる一の池

夕食の後は、混雑時は前後することもありますが18時半に「御開帳の儀」があります。これは内陣へ進み、御本尊・七面大明神像とご対面する儀式。像は秘仏であり、かつては正月と大祭の日のみ開扉していました。しかし遠方からはるばるやってきた参拝者から「七面さまに一目お会いしたい」と願う声が多かったのでしょう。いつしか求められれば御厨子を開けるようになりました。この御開帳も日帰りで訪れてお願いすることができます(御開帳料2000円)。自分は信心深くないから…と尻込みする方も多いようですが、そういう方こそ御開帳を体験してほしいと思います。

御開帳の儀

御開帳の後はそのまま外陣に移動して夕勤。お坊さんたちが内陣と外陣の間の幣殿に入堂し、1時間弱お勤めをします。とくべつにお願いしたいことがあれば、受付時に申し込むことができ、夕勤で読み上げられます。僕は息子の安産や、出生後には発育増進、闘病中の友人の当病平癒、さらに写真集が無事出版できますようにとか、東京マラソンを完走できますようにとか、はたまた完走するために減量を祈願したこともあります。そして減量以外は御利益はありました。それは自分でなんとかしろ、ということでしょうか。

夕勤。南無妙法蓮華経の唱題に合わせて太鼓が鳴り響く

それはともかく、祈願は遠方から電話やFAXでも申し込めることもあり、本当にさまざまです。たとえば「今朝車で轢いてしまった猫が成仏できますように」といった内容もあります。祈願の読み上げを聞いていると、同じときに祈りを捧げている見ず知らずの人のことを思い、共感したり応援してしまう自分がいます。僕の減量を応援してくれた方がいたかどうかはわかりませんが、いたら減らなくてすみませんでした。

夕勤の後はしばし休息、そして21時に消灯。その日の混雑次第ですが、運がよければ(?)七面山名物の巻き布団で寝ることができます。敷き布団も掛け布団も横に長く、10人以上が並んで寝ることができます。なお真夏以外は日が暮れるとかなり寒くなります。上で快適に過ごすためにフリースやダウンをお忘れなく。とくに真冬は-10度以下になることもあります。

これが七面山名物の巻き布団

翌朝の起床時刻は日の出とともに変動。おおむね日の出の30分〜1時間前で、冬はゆっくり寝られますが、夏は4時起床…。それでも7時間は寝られる計算なので、意外とすっきり起きられます。というか派手な太鼓の音と、布団を畳みにくる従業員さんによって、否応なしに起こされます。

これは1月のスケジュール。起床は遅めといっても5時半。

その後は朝勤がありますが、御来光と重なるので、天気がよければ頃合いをみて外の遥拝所へ。富士山越しの御来光を拝み、戻ると朝食。そして下山という流れになります。大半の方はそのまま下りますが、大ガレや山頂を目指したり、奥之院に参拝する方もいます。その場合はリュックを敬慎院にデポ、すなわち預けておくことも可能です。

敬慎院から15~20分ほどで大ガレへ。山頂はもう少し先

そんな七面山登詣を僕は3年ほど、毎月続けていた時期がありました。月一の登詣は“月参り”と呼ばれ、近隣の方もいれば、遠くからやってくる方もいらっしゃいます。参道をひとりで静かに歩いていると、東京で暮らしていると気づきにくい季節の変化を如実に肌で感じました。夏でも7月の暑さと8月の暑さは違います。そして9月になると敬慎院は一気に涼しくなり、18〜19日の大祭の夜などはストーブをがんがん焚いています。そうした変化で生きていることを実感できましたが、毎年何か決まった日に登るという人も、そこで1年間という歳月を意識するといいます。これは回数を重ねた人だけが心の中で味わえる、“セルフスタンプカード”だと僕は勝手に思っています。

一方、春〜秋には団体でお参りする方々も多く目にします。数百人単位の団体も珍しくありませんが、僕が月参りをしていた頃は1000人規模の団体も時折見かけました。七面山に限らない話ですが、今ほど交通手段が発達していなかった時代は、「講」という参拝組織を組んで人々は巡礼に出掛けていました。七面山はその光景が今も残ります。さらに全国から日蓮宗の寺院が、「団参」といって檀家さんを率いてお参りにやってきます。今は亡き僕の祖父母も、そうして菩提寺の住職とたびたび七面山へ登っていたようです。居間には祖父が撮影した御来光の写真が、「七面山御来光」という添え書きとともに飾られていました。今の住職に「団参やらないんですか?」と尋ねたら、檀家さんが高齢化して…とおっしゃっていましたが、全国の寺院同様、七面山でもそれが課題になっています。

そこで始まったのが、毎年暮れに行われるトレイルランニングレース「身延山七面山修行走」。発起人は今の第124代・小松祐嗣別当です。別当とはいわば住職にあたる役職。敬慎院は日蓮宗総本山・身延山久遠寺のお堂のひとつなので、住職は久遠寺の法主さまになりますが、境内から離れた山の上には住めません。そこで前編でも触れましたが、身延山の山内支院の住職が持ち回りで3年間、法主さまの代わりを務めます。敬慎院には他にも各地から大勢のお坊さんが、交代で下山しながら泊まり込みの勤務にあたっています。ほとんどのお坊さんは2時間ほどで登るそうですが、祖父も父も別当を務め、物心つく前から七面山に登っていた小松別当は1時間を切るとか。

10年以上前、当時は執事だったその小松別当から、「鹿野さん、トレイルランニングって知ってます?」と聞かれたのを覚えています。山を走るレースが存在するのを知り、七面山でもやってみようというのです。目指したのは、信仰のない人たちにも七面山や身延山を知ってもらうこと。そして訪れたランナーやファンが自然と手を合わせてくれたら、そこに新たな信仰が生まれ、七面山や身延山のファンになってくれるのではないかと考えました。

七面山敬慎院第124代・小松祐嗣別当

そのアイデアは身延町や早川町の人たち、そして日本のトレイルランニング界のレジェンド・石川弘樹さんの協力により、2013年に実現しました。メインであるロングコース(36km)は古来からの身延詣の巡礼路「身延往還」を往復します。身延山の門前をスタートして赤沢宿から表参道で七面山へ。北参道を下り、赤沢宿経由で再び門前へ戻ります。ふつうに歩いたら2日はかかりそうな累積標高2700mの道を、トップの選手はなんと4時間前後で駆け抜けます。

しかもそんなキツいロングコースが、受付を開始するとあっという間に定員が埋まります。キツいレースほど挑戦したくなるのがトレイルランナーだそうですが、コースが古くからの修行の道という点やアットホームな大会の雰囲気も、ランナーをひきつける要素のようです。10回目を迎える今年の開催は11月30日(土)。9月上旬に受付を開始しますが、定員450名の枠を目指して激しい前哨戦が繰り広げられそうです。

修行走の日の敬慎院はエイドステーションに。さまざまなおいしいものが並び、もちろんランナーは食べ放題(ただし食べ過ぎ注意)
ランナーを激励する小松別当。いつか言い出しっぺのご本人に出てほしい…

もともと山梨は富士山や八ヶ岳といったトレイルランの盛んな山を有し、競技人口も多い県。修行走が始まってから、七面山の参道を歩くと必ず県内や静岡から走りに来ているランナーを見かけるようになりました。白衣で南無妙法蓮華経と唱えながら登る信者さんに、駆け下りてきたランナーが「ご苦労さまです!」というような光景は、今や七面山の日常となっています。

山ですれ違うときの挨拶といえば「こんにちは」が定番ですが、七面山は「ご苦労さまです」。本来は目下の人に対する言葉だとして、最近は避けたほうがよいともいわれますが、七面山で聞くと不思議と気持ちが和みます。

なお七面山敬慎院では、今年(2024年)から来年にかけて、拝殿の屋根の葺き替え工事が行われます。檜皮葺が前回の葺き替えから40年経ち、傷みが目立っていましたが、来年の暮れには再び立派な姿が見られるはずです(堂内の参拝に支障はありません)。また前編で紹介した通り、僕は現在、敬慎院のプロモーション動画を制作しています。

XとYouTube(下にリンクあり)で随時公開していますので、ぜひご覧ください!


早川町の観光に関するお問い合わせは、早川町観光協会(TEL0556-48-8633)までお気軽にどうぞ。県道37号沿いの南アルプスプラザには、スタッフが常駐する総合案内所もあります(9〜17時・年末年始以外無休)。


■写真・文=鹿野貴司
1974年東京都生まれ、多摩美術大学映像コース卒業。さまざまな職業を経て、フリーランスの写真家に。広告や雑誌の撮影を手掛けるかたわら、精力的にドキュメンタリーなどの作品を発表している。公益社団法人日本写真家協会会員。


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