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【解説と感想】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第1回「大いなる小競り合い

2022年1月9日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第1回「大いなる小競り合い」を視聴しました。

ーーー始まる前にーーー
いよいよ待ちに待った「鎌倉殿の13人」が始まります。
NHK大河ドラマとして、久しぶりの鎌倉時代ということで見る方も気合が入ります。
一年という長丁場、ドラマを楽しみたいですね。

<NHKあらすじから>
1175年、平清盛(松平健)が大権力者として君臨していた日本。
伊豆の地では、北条義時(小栗旬)が兄・宗時(片岡愛之助)、姉・政子(小池栄子)らとのんびり暮らしていた。
しかし、流罪人・源頼朝(大泉洋)が義時の幼なじみ八重(新垣結衣)と恋仲になり、男児が生まれたことで状況は一変。
清盛から頼朝の監視を任されていた八重の父・伊東祐親(浅野和之)は激怒する。
頼朝が姿をくらます中、北条家にも捜索命令がくだり……

■プロローグ
姫を馬に乗り救い出す武士(義時)のシーン。

---曲---
エバン・コール

■語り(長澤まさみ)
栄華を極める平家の世に、小さなほころびが生じようとしている。
源氏の名の下に集う新しい力。
歴史が、うねり始めている。

■1175年(安元元年)伊豆
北条時政(坂東彌十郎)が3年ぶりに京から戻ってきた。
伊東祐親の娘・八重と頼朝が恋愛し子をなし館を抜け出した事件を説明している。

■源頼朝
16年前、頼朝の父・義朝は平清盛と戦い破れ、頼朝を伊豆に流罪とした。
伊東祐親が頼朝の監視役に命じられた。
三浦義澄(佐藤B作)と時政は祐親の娘を娶っており伊東祐親の義理の父にあたるのだ。

■3年前へ
伊東祐親の宴の席で、踊りを見せる工藤、義時と八重は幼馴染のようだ。
佐殿(頼朝)が窮地にたっている、北条の館に居ることを宗時が義時に打ち明けた。
北条宗時は源氏の味方のようだ。
義時を頼朝に合わせようとする宗時、父・時政はこのことを知らない。
小四郎(義時)を連れてきた宗時に頼朝は「かたじけない」とひと言だけ発する。
「佐殿の力を借りて平家をぶっ潰す」(宗時)
離れ家にいる頼朝の部屋に政子が入っていくと、何度かお見かけしたことがあると、政子。
「頼朝を匿ったら爺様がだまっていないだろ」三浦義村(山本耕史)
工藤祐経(坪倉由幸)は所領、妻子をうばわれたことを説明している。
義時は平家の世が悪いとは思っていないようだ。
頼朝が北条邸に匿われていることを父・三浦義澄(佐藤B作)に打ち明ける義村だった。

■政子
頼朝に一目惚れして恋をした政子、頼朝に色目を使う。
姉が佐殿にぞっこん、と妹・実衣(宮澤エマ)が打ち明ける。

■蹴鞠の練習する政子
頼朝が蹴鞠をして喜んでいる。
政子に、あの歳で嫁に行っておらぬ理由を問う頼朝。
気性はきつく、賢くない、と答える義時。
工藤祐経が祐親に土地を返せと直訴する。

■りくと時政の結婚
時政は年の離れた京の牧野宗近の娘・りくと結婚することになった。
「父上にお伝えして置かなければならないことが」(宗時)
「バカヤロー、将門は最後首ちょんパだった」激怒する時政。
時政と頼朝が対面、「匿えるのはせいぜい3日だ」

■八重
義時は佐殿から八重姫に書かれた手紙を届けることになった。
佐殿の手紙を読む八重、子の千鶴丸も一緒だ。
今すぐ会いたいと書いてあるから、一日でも早く佐殿に会えるよう命じる八重だった。
善次は千鶴丸を抱いてどこ変え消えた。
ここへ来た本当の理由を言えと、言う祐親は頼朝と八重のことで来たと勘ぐっているようだ。
頼朝を引き渡すように強く言う祐親、力ずくでも頼朝を取り戻す気のような。

■千鶴丸が殺された
このままでは戦になる、義時も頼朝を匿うことで危険な目に合うと感じていた。
天鶴丸が殺されても冷静な態度でいる頼朝。
義時は兄とは違い北条を守らないといけない、と頼朝に話す。
本当に平家の世をひっくりかえすつもりがあるのか問いただす。

「何度も死の前に立つが生き延びた。立つか立たぬかわしにもわからぬわ」(頼朝)

■頼朝
祐親を殺すよう工藤祐経に命じ、決して許さん、と激怒する頼朝だった。
伊東祐親と戦うことになった宗時に対し、腹をくくった時政もこれに加勢することに。
祐親の追及に「佐殿はいない」とつっぱねる時政。
義時は頼朝に逃げるよう指示する。
政子のアイデアで、女装して逃がそうということになった。
馬に乗って裏門から逃げる女装した頼朝と義時。

■各地の動静
ナレーション(長澤まさみ)
時代の変わり目が近づこうとしている
平清盛(松平健)は絶頂のとき。
この時、木曽義仲(青木崇高)は信州の山奥に隠れている。
奥州藤原氏は三代目の藤原秀衡(田中泯)の時代。
その秀衡の庇護を受けていたのは後の源義経(菅田将暉)。
日本一の大天狗と言われた後白河法皇(西田敏行)と清盛との蜜月はまもなく終わろうとしている。
未曾有の戦乱が目の前に迫っている

----おわり----

次回は第2回「佐殿の腹」1月16日放送です。

<勝手に解説>
源頼朝は、久安三年(1147年)、父・源義朝と熱田大宮司・藤原季範の娘(由良御前)との間に、三男として尾張国愛知郡熱田で生まれました。
父親の源義朝は、八幡太郎義家から4代目にあたり、頼朝は清和源氏頼信流の河内源氏としては7代目です。
つまり、源氏の棟梁頼朝は、皇族を祖先にもつ貴種にあたる名門氏族なのです。
頼朝の乳母は比企尼、寒河尼、山内尼が知られています。

保元元年(1156年)、頼朝の父・義朝は保元の乱で勝利し左馬頭に昇進します。
その頃、頼朝は10歳前後で一番環境の影響を受ける年頃ですので、京都に生活が移りその貴族的気風が育まれたと思われます。
すなわち、関東武士と京都の気風を兼ね備えたのが頼朝の特徴だったのです。
ドラマの中で頼朝が蹴鞠をするシーンが出てきますが、この貴族趣味があったことを示しています。

そんな文武両道の環境で育った頼朝ですが、大事件に巻き込まれます。
それが平治の乱です。
平治元年(1159年)、後白河法皇をめぐって信西と藤原信頼が対立し、信西は平清盛と信頼は源義朝と組んで対立します。
しかし、義朝は清盛軍に敗れ、信頼は斬罪、義朝は尾張で殺されたのです。
頼朝は13歳前後、義朝とともに関東に逃れる途中、近江国で捕らえられ六波羅に護送されます。
義朝の嫡子である頼朝、本来なら死罪が当然ですが、頼盛の母で清盛の継母にあたる池禅尼や頼盛の懇願によって死罪は免れ、伊豆に流罪となります。
したがって、今回のドラマの時代に、頼朝は28歳前後であったことがわかります。
八重姫との恋愛による千鶴丸殺害事件は『曽我物語』によるもので、フィクションの可能性が高いといわれています。

関連記事「日本の歴史アップデート」鎌倉時代

■感想
前作「晴天を衝け」の感覚で視聴していたら、いい意味で騙されました。
そのテンポとストーリー展開の旨さに。さすが三谷幸喜ですね。
つかみの馬に乗って逃げるシーンの種明かしが最後に出てくるというのも、なるほどそうだったのか!でしょう。
歴史背景がどうのこうの、というのが気にならないくらいの展開力で魅せてくれます。
そして、頼朝のキャラが少し面白く描かれているのもいいですね。
その辺、大泉洋を持ってくるあたり、狙ってますね。


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