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【感想と解説】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第3回「挙兵は慎重に」

2022年1月23日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第3回「挙兵は慎重に」を視聴しました。

<始まる前に>
第3回は、以仁王が登場するようです。
以仁王は教科書でお馴染み、頼朝挙兵のきっかけとなった人物です。
タイトルにもあるように、これから、頼朝挙兵の話につながっていくようです。

<NHKのあらすじ>
治承4年(1180)4月、源頼朝(大泉洋)と引き離された八重(新垣結衣)は伊東祐親(浅野和之)の家人・江間次郎(芹澤興人)の元へ嫁がされていた。
対岸の江間館を見つめる北条義時(小栗旬)。
そんな折、頼朝の叔父・行家(杉本哲太)が北条館を訪ねてくる。
怪しがる政子(小池栄子)。
しぶしぶ対面する頼朝だが、行家は平清盛(松平健)へ反旗を翻した後白河法皇(西田敏行)の御子・以仁王(木村昴)の令旨りょうじを携えていた……

■ナレーション(長澤まさみ)
都に激震が走る。
平清盛は後白河法皇を幽閉、自分の孫を帝に即位させたのである。
安徳天皇1歳3か月
そのころ伊豆では。
都の不穏な気配が忍び寄っている。

---曲---
エバン・コール

■ナレーション(長澤まさみ)
治承四年。
この年に起こったのは、歴史的な異常気象。
日照りが幾月も続き、人々は飢饉の不安におびえている。

■治承四年(1180年)
伊豆北条邸
八重は江間次郎の元に嫁いている。その館は狩野川を挟んで北条館の対岸にある。(長澤まさみ)
自分は米の勘定のほうが向いている、と義時は言います。
宗時は、政子に大姫が生まれてすっかり丸くなったと話します。
薄汚い衣を身に着けて源氏の再興を唱えている、という人物の噂話をしています。
すべて平家のせいだ、天がお怒りなのだ、と宗時は平家に怒ります。

■源行家(杉本哲太)現れる
法皇の御子、以仁王様が挙兵し平家を滅ぼすことになったことを伝えます。源頼政も老骨に鞭打って宮様をお助け申し上げます」(源頼政)
以仁王様の令旨を読み上げる行家。
頼政は、清盛に目をかけられている唯一の源氏です。
頼政について、時政は伊豆の国司であるが、好きではないようです。
時政の言葉に、以仁王の挙兵には従わないことにした頼朝です。
「頼政では無理で人はついてこぬ、清盛入道はいずれ死ぬ」(頼朝)
「遠からず謀反は知ることになり、失敗します。いずれ必ず佐殿には立っていただきましょう」(りく)

■義時と佐殿
「挙兵はやめた」(頼朝)
「わしが源氏の棟梁として采配を振るわねば」
「戦にも政にも関心ございません」(義時)

■京より報せが
手紙が2通届きました。
都はかなり混乱しているようです。
都の情勢を手紙で伝えていたのは三善康信(小林隆)です。
頼政が以仁王についたことで一気に軍勢が勢い付いたのです。
しかし、ご謀反は、あっという間に沈められました。
頼政卿は宇治の平等院でご自害、以仁王様も奈良へ逃げる途中で落命。
乱は鎮圧された、信じられぬ。
お経を唱える頼朝です。
「振り回されっぱなし」と嫁いだことに疲れる政子と実衣。

■大庭景親邸
伊東祐親(浅野和之)と大庭景親(國村隼)が話します。
「源氏は終わった、頼朝もいずれ成敗されるだろ」(景親)
時政に早く頼朝と縁を切れと強く促す祐親です。
「政子を平兼隆様に差し出せ、北条は生き残れん」(祐親)
「死なば諸共、とはいえ、波風はたてん方が良い」(時政)

■伊豆・国衙(役所)
平景隆にお目通りを依頼する時政と義時。
堤信遠(吉見一豊)は謀反に加わったことを疑い、時政を陵辱し、出直せと冷たく追い返します。
義時は、国衙の木簡が気になる様子です。

■八重
伊東祐親が八重に会いに来ます。
「江間次郎を夫と思ったことがない」(八重)
「川向うにいる佐殿が気になるか。今にわかるどうなるかが、お前のためだ」

■大姫
政子は大姫、頼朝と仲良く遊びながら対岸の八重に手を振ります。

■夢
後白河院が夢の中に現れます。
早く助けてくれ、今は福原に幽閉されている。
清盛の首をとり、都から平家を追い出してくれ、できるのはお主だけだ。
源氏全てに追討の兵を差し向けることに決めた、と三善康信から手紙が届きます。
うろたえる頼朝です。
後世、三善康信の報せは、早とちりだったことが判明します。
追討の命は、頼政の残党に対して出されたものだったのです。
早とちりが歴史を動かすことに(長澤まさみ)

■文覚
文覚は、平家を許すな、と演説し、武士から殴られ、宗時が助けます。
義朝のどくろ(髑髏)を持っています。
我が家方に佐殿がいることを話すと、文覚が館に来ることになりました。

■三浦義村
佐殿は挙兵したくてたまらないのだと、政子。
三浦義村(山本耕史)は「佐殿は疫病神だ、初戦が大事、300はほしいところだ」

■三浦義澄が時政の館へ
三浦義澄(佐藤B作)が法皇様の密使を持ってきたのです。
「本物なのか?」(時政)
「多分偽物です」と言って安達盛長に渡します。

■国衙
義時と義村は兵の人数を探るため、密かに国衙の木簡を調べます。

■頼朝
文覚がやって来て義朝の髑髏を見せようとします。
二度と目の前にあらわれるな、偽物の髑髏を高く売りつけようとしていると、追い出されます。
「二度とくるな!」(頼朝)
「戦をするつもりはない!なぜわからぬか!」
「佐殿は戦いたくてうずうずしている、座して死を待つおつもりですか」(政子)
「無念がこもっているドクロに誓ってください、平家を倒すと」
「兵をあげることはできぬ」
「勝てます、この戦」(義時)

木簡を調べたところ、民の数がわかれば兵の数もわかります。
北条、新田、宇佐美、狩野、ざっと見積もって300
三浦、和田、山内、熊谷、3000集まります。
当面の敵、大庭、伊東は2000の兵
「絵に描いた餅じゃ、大義名分がなければついてこぬ。法皇様の密書でもあればなあ」(頼朝)
「法皇様が夢枕に立たれ、そのようなことを仰せであった」(頼朝)
「密旨でございます」
安達盛長(野添義弘)は三浦義澄が持ってきた密旨を差し出します。
人々は夢のお告げを信じている、平安末期はそういう時代でした(長澤まさみ)
「法皇様が助けを求めてこられた」(頼朝)

----おわり----

次回は第4回「矢のゆくえ」1月30日放送です。

■感想
今回は、「がいこつ」に「偽密旨」、偽物でも歴史を動かす力があるんだ、と言いたかったようです。
時政(坂東彌十郎)のキャラがそれをうまく引き出しています。
文覚上人(市川猿之助)のキャラもこれから登場しそうで楽しみ。
髑髏の件は『平家物語』での逸話をそのまま採用しているようですね。
法皇が夢に現れお告げをくださった、というのはドラマによくあるヤツですが、本当にあったんでしょうか。

■勝手に解説
治承四年(1180年)といえば、
・北条義時:1163年生まれ・・・17歳
・三浦義村:1168年生まれ(想定)・・・12歳
・源頼朝:1147年生まれ・・・33歳
・北条政子:1157年生まれ・・・23歳
・以仁王:1151年生まれ・・・29歳
・北条時政:1138年生まれ・・・42歳
俳優の年齢で見てしまいがちですが、リアルな年齢を見ると面白い。
頼朝が義時を信頼していたのは、年齢差があったからなのかもしれませんね。

北条政子との結婚は、長女・大姫が生まれる治承二年(1178年)より少し前頃とみられます。
北条政子は頼朝の10歳年下ですので、頼朝30歳、政子20歳頃のことでした。
八重姫のときと同じく父・北条時政に激しく反対され、二人の仲を引き離そうとしますが、政子は気性が激しくこれに反抗します。
父の仕打ちに従わず、深夜雨の中を山を越えて伊豆山にいる頼朝のもとに戻りました。
「君流人として豆州に坐し給ふのころ、吾において芳契ありといへとも、北條殿時宜を怖れ、潜かに引籠めらる しかるに猶君に和順し、暗夜に迷ひ、深雨を凌き、君の所に到る」
これは、後年、義経の恋人静御前が舞を披露した際に、頼朝に助命を懇願した北条政子が、頼朝との結婚について回想して述べた言葉と言われます。
このように北条時政の反対を押し切って頼朝と政子は結婚し、北条氏の後援を得て、挙兵へと邁進することになります。


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