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【感想】NHK 歴史探偵「皇帝ネロの黄金宮殿」を視聴しました

2023年2月15日(水)22:00~22:44、NHK 歴史探偵「皇帝ネロの黄金宮殿」を視聴しました。

<始まる前に>
皇帝ネロと言われても。。。世界史あまり知らない。
まいっか、楽しみましょう。

<NHKのあらすじ>
ローマの地下に眠る謎の巨大遺跡「皇帝ネロの黄金宮殿」を徹底調査!
宮殿の床や天井は回転していた!?
それを実現した2000年前のハイテク技術に迫る世界史スペシャル!

■世界史スペシャル 皇帝ネロの黄金宮殿

■スタジオで
暴君ネロが築いた黄金宮殿です。
佐藤所長「本格的に世界進出ですね。黄金宮殿、すごい名前ですね」
「ネロは暴君と言われた皇帝ですよね」
母や弟、キリスト教徒を火あぶりにした、そんな暴君ネロが築いた黄金宮殿。
造られたのは紀元64年、日本史でいうと弥生時代です。

■調査①黄金宮殿はどんな遺跡か?

・クリスティーナ・コンティさんが調査します。
・マリア・バルトーリさん(修復責任者)
光が届かない地下迷宮です。
150以上の部屋が見つかっています。
2000年前に描かれた絵が残っていました。
「スキロス島のアキレス」の間には、天上の中央にギリシャ神話のアキレスが描かれています。
最高の美術で描かれた極上の空間でした。
大きな黄金宮殿の心臓部分、ホールは「八角の間」、直径14mの八角形のドーム状の空間です。
2000年前のものが崩れず残っているのはコンクリートで作られているからです。
ローマン・コンクリートは、ベスビオ火山に秘密がありました。
ポッツォラーナという火山灰を水や石灰で混ぜると強いコンクリートができます。
人工の滝が設けられ、光が滝を照らす設計になっていました。
・ステファーノ・ボルギーニさん(建築家)
皇帝は光に包まれ、その特殊効果にゲストは感動したことでしょう。
金ではなく、光にあふれていたから黄金宮殿と名付けられたのです。
黄金宮殿をCGで復元します。

■スタジオで
佐藤所長「自然の太陽の光で黄金を表現したんですね」
芳賀京子さん(東京大学)
「色石を切ってはめ込んでいたので美術家も建築家もトップレベルでした」
佐藤所長「今迄のものとはちがうものをやろうとした」
その後の西洋美術にも影響を与えました。
西暦1480年頃、一人の男が陥没した穴に落ちてしまいました。なんと黄金宮殿でした。
噂が広まり、たくさんの芸術家が忍び込むようになったのです。
忍び込んだ一人が、ラファエロ・サンティでした。
最大の謎が「食堂は球状で昼も夜も絶え間なく自転していた」というものです。

■調査②2000年前の「回転食堂」の謎

回転する食事室コエナティオ・ロトゥンダ
実在を裏付ける驚きの発見があったのです。
見つかったのは高さ20mの巨大な塔。
発見した考古学者フランソワーズ・ヴィルデュさん
回転したのは床、ハリのように床を支えるためアーチの形でした。
穴には金属製の玉が据えられていた、円形だったと推測されます。
木製の床板を玉の上にのせると、床が回転する仕掛けでした。
床を動かしていたのは水の力だと考えています。

■2022年新説発表

八角の間の天井が回転したという説です。
・ステファーノ・ボルギーニさん
天井のくぼみに金属製のフックが固定するために使われていて、回転する床がに吊り下げられていた推測します。
仮説を裏付ける一枚の写真、1931年の写真に、2本のレールの痕跡が写っていました。
レールの跡があったことがわかりました。
八角形の天井が回転していた可能性があるのです。

■スタジオで
佐藤所長「回転寿司とは違う!?。。エンターテイメント!」
2世紀のローマ帝国の領土は、イギリス、エジプト、ギリシャまで、広大でした。
どうして黄金宮殿が築かれることになったのか?
フォロ・ロマーノで新たに黄金宮殿の一部が発掘されたのです。

■調査➂皇帝ネロの壮大な計画とは?

フォロ・ロマーノへ
フォロ・ロマーノは、ローマ市民の広場という意味で、国会議事堂や最高裁判所が集まった地域でした。
・ドメニコ・パロンビさん(考古学)
マクセンティウのパシリカ、ローマ遺跡の地下で発見されました。
黄金宮殿の土台です。
その上に、ポルティコと呼ばれる屋根付きの柱が立っていたと見られます。
ネロは64年の火事の後に復興計画で大改造しようとしたと思われます。
人口の湖や庭園、森など複合施設としての再開発プロジェクトでした。
なぜ複合施設を作った?
64年のローマ大火で、街の約3分の2を焼失しました。
人工の湖は貯水湖の役割、緑の空間は防火帯にするため。
そして、誰でも行き来できるよう、通路が作られたのです。
ネロは大規模な都市設計を行なった初めての皇帝でした。
暴君ネロと言われるネロ帝ですが、革新的なアイデアを持つ人物でした。

■スタジオで
佐藤所長「都市の再開発プロジェクトそのものだったのですね」
芳賀京子さん「残虐非道な面はあったのですが、愚かではない賢帝であった可能性はあります」

■なぜ暴君と伝えられることになったのか

ネロは放火犯?
タキトゥスの『年代記』には違うことが書かれています。
アンティウムに滞在していた、知らせを聞いたネロは直ちにローマに戻ります。
被災者のために自分の庭まで開放したといいます。
現代では放火説はほぼ否定されています。
きっかけは、あの黄金宮殿にありました。
巨大な複合施設を作ったことで、元老院と対立することになったのです。
貴族たちの土地で、彼らに多額の寄付を強要します。
さらに、ギリシャ訪問で、古代オリンピックに参加し、歌を披露、民衆は大喝采。
ギリシャ地方を重視するというメッセージを送るためだと考えられています。
しかし、保守的な元老院はネロを国家の敵と宣告します。
アフリカ駐留軍団司令官の反乱で、小麦をローマに運ぶ船の出港を禁止、ネロは68年6月9日自死。
ネロの功績は埋められ、黄金宮殿はコロッセオなどに作り変えられました。
歴史書に有りもしない姿が刻まれたのです。

■スタジオで
芳賀さん「中国のような専制政治をするのではなく、市民の中の第一人者という立場でした」
佐藤所長「純粋な面もあったかもしれない、妥協しておくということができなかったのかも」

ーーーおわりーーー

次回は「大奥コラボスペシャル」2月22日(水)放送です。

■感想

BS番組の番宣でした。
でも、2000年前にあんなにすごい建築物が造れるのはすごいですね。
だけど、繰り返し弥生時代と比較しようとする台本はいただけない。。。
番宣だからとはいえ、日本史の番組なんだから、強調することはないし、少しは遠慮気味に言えよ(笑)
ローマ帝国は滅び、元も、オスマン帝国も滅び、大英帝国も衰退。
世界支配は不可能ということでしょう。
これからはナショナリズムの復活となるんでしょうか。


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