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【感想】NHK大河ドラマ『どうする家康』第29回「伊賀を越えろ!」

2023年7月30日(日)20時『どうする家康』第29回「伊賀を越えろ!」を視聴しました。

<始まる前に>
伊賀越えで1回費やすのは、今後の展開に影響あるからでしょうか。
楽しみにしています。

<NHKのあらすじ>
信長死すーー。
衝撃的な知らせが世を駆け巡る中、光秀(酒向芳)の命令で、家康(松本潤)は、浪人から村人まであらゆる者から命をつけ狙われることに。
岡崎へ帰還すべく、家臣団と共に逃亡する家康に、半蔵(山田孝之)は、服部党の故郷である伊賀を抜けるべきだと進言する。
光秀の追手を欺くため、忠次(大森南朋)らと別れた家康は、伊賀の難所を越えて、一路岡崎を目指すが、道中で謎の伊賀者たちに捕らわれてしまう!


■プロローグ

京・本能寺が燃え、堺に信長討ち死にの知らせがもたらされました。
「やれるのか金柑頭、俺のかわりが」(信長)
●備中・高松
やったのが明智と聞いて秀吉は家康を疑います。
穴山梅雪は別々に逃げることになりました。

■ナレーション(寺島しのぶ)
「本能寺にて織田信長を討った明智光秀は、瞬く間に京を制圧、見事なる手際の良さで次の天下人への足場を固めておりました」

天下人光秀の命令で家康の首を取るように指示しました。
(ナレ)「羽柴等織田の重臣たちは遠方にあり、目下の敵は我らが君のみ」
野盗に狙われる家康一行を、大鼠・半蔵等の服部党が助けます。
(ナレ)「三河・岡崎までは距離にして250キロ、神の君、一世一代の逃避行が始まったのでございます」

---曲---
稲本響

■浜松城

信長が撃たれたという一報が入り、於愛は家康がやったと思いこんでいましたが、明智だと判明しました。
(ナレ)「三河を目指して走りに走り、君を慕う民から助けを得つつ、木津川を渡り、野伏せりの襲撃を退けた朝宮の辺りでは、すでに金も底を尽き、満身創痍の君ご一行様でありました」

■6月3日

大鼠(松本まりか)・服部半蔵一味は伊賀越えを提案、甲賀衆の多羅尾光俊を頼ることになりました。
酒井忠次と石川数正は、足手まといになるからと信楽の近江路・佐倉峠と、家康と分かれて逃げることになりました。
これが一世一代の大仕事という服部党に助けられて進むことになりました。

■近江・小川城

甲賀者の多羅尾光俊(きたろう)、伴与七郎(新田健太)が徳川を盛大に待ち構え食事の支度をしています。
(ナレ)「甲賀衆・伴与七郎殿にございます」
そこに服部半蔵が毒味を買って出て甲賀衆のところへ入っていきます。
服部半蔵は伊賀の名家ですが、半蔵等は伊賀に行ったことはありませんでした。
ご恩があるという半蔵に多羅尾光俊は伊賀にそんな言葉があるかと大笑いし信楽を目指せと話します。
これは罠で、山伏の衣装は目印で信楽には明智が待ち構えていると議論しています。

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(感想)
服部半蔵は三河生まれだったらしいです。
ここ全部、ファンタジーっぽい。
忍者なので氏素性を隠していたことはありそうです。

■6月4日御斎峠

(ナレ)「当時の伊賀国は、まとめられる領主もおらず、600を超す砦がひしめくまさに修羅の地の様相を呈しておりました」
農民に扮装した家康一行は、伊賀突入を決行します。

●伊賀突入
敵に襲撃され、激戦となりました。
家康を捕らえたのは伊賀衆の頭領・百地丹波(嶋田久作)でした。

●明智光秀

徳川家康の首が明智光秀の元に到達しました。
しかし、光秀はひと目見て違うということに気づきました。

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(感想)
家康の首にこだわる光秀、そんな余裕があるとは。。。

■音羽郷

百地丹波は伊賀衆の頭領と名乗ります。
百地丹波は、半蔵が伊賀の名家だといくことを全く知らず、聞き入れません。
首を刎ねようと百地は刀を抜きますが、家臣等が自分が家康だと喚き、百地は最後に家康の首を跳ねようとします。
そこに現れたのが本多正信(松山ケンイチ)でした。
間違いなくこれは家康だという正信、過去にあと一歩まで追い詰めたものの三河を追放されたことを打ち明けます。
更に、妙な噂が広まっていると、それは信長が生きのびているという噂だと正信は話します。
信長が生きていたらどうなると聞く百地に対し、正信は弟分だった家康なので信長は伊賀を滅ぼすだろうと。
だが、信長は死んだ、早く首を刎ねろと催促します。
家康は、信長は生きていないが首が出ておらず、明智に天下は取れない、わしに明智を討たせ恩を売れと迫ります。
百地は家康に賭けることになりました。

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(感想)
さすがに百地が一瞬で心変わりするとは思えないし、本多正信がここにいるとは考えにくい。
だけど、面白い展開でした。

■伊勢・白子浜

(ナレ)「かくして我らが君は、幾度も危機にあいながらも、無事伊賀を走り抜け、伊勢・白子浜にたどり着いたのでございます」
石川数正や酒井忠次も無事でした。
正信は美濃でタダメシを食らっていたと、家康は気が向いたら浜松に来いと誘います。
服部党は褒美を与えられ、武士として評価されることになりました。
(ナレ)「堺を出立して3日後、ついに君は岡崎にたどり着いたのでございます」

●岡崎
大久保忠世(小手伸也)は穴山梅雪が身代わりになって首を取られたという知らせを家康に伝えました。
(ナレ)「その頃、山陽道には大急ぎで京を目指す軍勢が」

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(感想)
この頃まだ小大名にすぎなかった家康を立てて身代わりになるほどのことを穴山梅雪がするとは思えない。
家康が天下を取ってから出てきた創作でしょうね。
身代わりになってもらったというのならそれはそれで怖いですが。
この時、そんな余裕はないでしょう。

●山陽道・姫路付近
軍勢が大急ぎで駆けています。

■山城・小栗栖

(ナレ)「本能寺の変から11日後、明智光秀は戦に敗れ、都を追われておりました」
明智光秀は、野盗に襲われ、討ち死にしました。
(ナレ)「こうして見事明智光秀を討ち信長公の仇をとったのでございます。あの男が・・・」
信長の敵・光秀を討ったのは秀吉(ムロツヨシ)でした。

----つづく----

次回はどうする家康 第30回「新たなる覇者」8月6日放送です。

■感想

明智光秀の最期と山崎の戦いはナレーションであっさりでした。
本能寺の変で光秀は、味方であるはずの細川藤孝の援軍もなく見捨てられるように討ち取られていきます。
三日天下とかいわれるほど力のなかった明智光秀がどうしてトップを目指したのか?謎すぎます。
藤孝の息子が細川忠興でその妻は細川ガラシャ。
明智光秀の娘です。
本能寺の変は、キリシタンとの関係とか気になることが多いです。


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