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【感想】NHK大河ドラマ『光る君へ』第5回「告白」

2024年2月4日(日)20時『光る君へ』第5回「告白」を視聴しました。

<始まる前に>
今回の大河ドラマも進行がゆっくり目です。
急流があったり大河にようにゆっくり流れたりということですかね。

<NHKのあらすじ>
道長(柄本佑)が右大臣家の子息であり、6年前に母を手にかけた道兼(玉置玲央)の弟であることを知ったまひろ(吉高由里子)はショックを受けて寝込んでしまう。
事態を重く見た、いと(信川清順)はおはらいを試みる。
一方、まひろが倒れたことを聞いた道長(柄本佑)は自らの身分を偽ったことを直接会って説明したいとまひろに文をしたためる。
直秀(毎熊克哉)の導きでようやく再会することができたまひろと道長だったが…


■プロローグ

●永観2年(984年)
前回の回想からスタート

●和歌のサロン
今日の和歌のサロンはまひろと肇子がいません。
肇子はたいそう富のある、顔が四角い侍従宰相(加藤歩)の目に止まり、早速お通いがあったと赤染衛門(凰稀かなめ)が話しています。
右大臣家の3人は背も高く麗しいとも噂します。
身分の低いまひろを五節の舞に出したのが悪いと言うしをり(佐々木史帆)に対し、倫子(黒木華)はそのような事を言うなとたしなめました。


(感想)
ザブングル登場です!名もなき侍従宰相役で、一瞬の出来事でした。
泣き顔の芸が印象的な芸ですね。

●寄坐(よりまし)
いと(信川清順)が連れてきた僧(植本純米)と寄坐(傳田うに)が寝込むまひろの前でお祓いをしています。
巫女は取り憑いたのは母親で、思い残すことがあるゆえ成仏できないと言います。
水乞いをするといいと言われ、太郎といとが、ドタバタしていると、まひろは起き上がり、ああいう人達はもう呼ぶなと言いました。

---音楽---
冬野ユミ

---テーマピアノ演奏---
反田恭平

■為時とまひろ

為時(岸谷五朗)は、母親の死について道兼のことを胸にしまって生きてくれ、ちやはもそれを望んでいるだろうと言います。
賢いから何もかもわかっているはずという為時に、まひろは分からないと断言しました。

●道長は
道長にも、まひろの素性が認識されました。
琵琶を弾くまひろは、ちやは(国仲涼子)を思い出しながら、道兼と三郎のことも。

■大内裏

花山天皇はためらわずどんどんやれ、前へ進めと激を飛ばします。
しかし、藤原実資(秋山竜次)は、天皇のやり過ぎを諫めよ、夢を語るだけでは誰でもできる、実が伴わねば世が乱れると言い、側近2人に命じます。
しかし、側近の藤原義懐(高橋光臣)と藤原惟成(吉田亮)は実資と反発し合います。
宮中で、弘徽殿女御・忯子(井上咲楽)が倒れたと噂します。


(感想)
当時まだ17歳の花山天皇が政治に介入できるとは思えませんね。
やはり側近の義懐と惟成の力が働いていると思われます。
荘園整理令のように、やりすぎると兼家に睨まれるということでしょう。

■4人衆

藤原斉信(金田哲)は花山天皇は若く、やる気もあり長いご治世になるかもしれないと言います。
その割に藤原斉信の位は上がらないと、藤原公任(町田啓太)が皮肉で答えます。
天皇は弘徽殿女御を寵愛するが兄には興味がないのかと、公任は藤原行成(渡辺大知)の前で話します。
斉信は、藤原公任に悪いが、関白の世は過ぎたとお返しの言葉を浴びせました。
側近2人と新しい政、贅沢を禁じ、銅銭を世に広め、荘園を没収しようと考えているとも。
高い位を得なければ、俺たちは競い合うべきだと話を道長に振ります。
道長はなるようになるだろうと手ぬるいと感じています。


(感想)
この同期のような4人衆は今後も出てきそうで楽しみです。
この年、道長19歳、藤原斉信は18歳、公任は19歳、藤原行成は13歳です。
13歳だとちょっと話について行けないでしょうね。

●父と子
道長は兼家に、面白い話はないか振られます。
騙しあい、嘘も上手にならねばと言います。
分からぬことを分からぬというのは良いが、己の考えはないか道長に問います。
大事なのは、帝を支えるのが誰かということではないかと意見します。
我が一族は帝を支える筆頭として子孫代々、支える必要がある、東宮に帝になってもらはねばとも。

●道隆と詮子
道隆は詮子にアドバイスしますが、父との和解を拒否する詮子です。
先の帝に毒を盛った、父の道具といして入内したのではない、生涯許せない。
「裏の手がある。それは言えない」(詮子)

■頼通切れる!

源雅信(益岡徹)と藤原頼通(橋爪淳)と藤原兼家が話し合っています。
我々の力を削ぐために荘園没収をしようとしていると、いつになく大声で頼通は憤慨します。
天皇の側近、藤原義懐が敵であると再認識しました。
嫡男・公任のことで悩んでいます。
そこに倫子が顔を出しました。

■藤原道綱母

●ナレーション 伊東敏恵(NHKアナウンサー)
「この女性は、藤原兼家の妾、すなわち嫡妻ではない妻の一人で、『蜻蛉日記』の作者でもある」
「舞っているのは、兼家との間の息子・道綱だ」
藤原寧子(財前直見)と藤原道綱(上地雄輔)が兼家と居ます。
控えめにしておれば良いこともあろうと、兼家は道綱に話します。


(感想)
道綱の陽気だけどちょっとばかっぽいところが面白い。
『蜻蛉日記』の作者名が藤原道綱母というのは名前を公表しないという当時の風習でしょうか。
紫式部も清少納言もペンネームですし。

●直秀とまひろ
民たちは、五節の舞で倒れたまひろの素性を噂しています。
直秀は、三郎が道長だと知っていたのかと尋ねます。
直秀はあいつのことは諦めろ、身分が違いすぎると言います。
道長は文を書いています。

●文が届く
いとは、文は誰からと乙丸(矢部太郎)に尋ねますが下人からだと答えます。
まひろは道長から届いた文を読んでいます。
倒れたと聞き、胸を痛めているぜひ会って話をしたいと言う内容です。

●散楽
満月の夜、まひろが直秀に頼みを依頼しますが断られます。
しかし次の日、直秀がこっそり道長の馬に乗り、まひろに会わせる算段を目論みます。

■安倍晴明

兼家は、弘徽殿女御・忯子の腹の子を呪詛せよと、安倍晴明に命じます。
できないと断る安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)は、我が生命も削らねばならない、この国の未来も閉ざされると答えます。
しかし、兼家はこの国の未来を担っているのは私だと反論します。
兼家は晴明に、その生命を削っても成し遂げよと、頼通、雅信、道隆等の命令でもあると圧力をかけました。

■告白

まひろの元に道長がやってきました。
はじめて右大臣藤原兼家の三男の道長と名乗りました。
騙そうと思ったことは一度でもない、驚かせたことを謝りました。
自分が倒れた理由は、道兼の顔を見たからだと。
6年前母親が道兼に殺された、自分の眼の前でと告白しました。
播磨国から戻っても官職を得られないほど貧しく、右大臣が漢文の指南役に父を推挙してくれた。
次の日、お礼参りに行くと言い、三郎と合う約束をしていた日でした。
三郎に会いたかったので急いでいると、道兼の馬とぶつかり刺されたのでした。
右大臣から禄を貰っていたので、急な病で亡くなったことにしたのだとも言います。
まひろの言うことを信じる道長でした。
一部始終聞いていた直秀は、名を名のり、道長は助かったと礼を言い帰っていきました。
「帰るのかよ!」(直秀)

●兄と弟
道長は、道兼に6年前の人を亡き者にしたことを問います。
虫けらの一人や二人どうとも思わぬという道兼に殴り倒します。
父に言いつけたのもお前かと問います。
兼家は道長にこのような熱き心があったとは知らなかったと、我が一族の行く末も安泰だと大笑いしました。

●為時家
居なくなったことを心配し待つ為時に、まひろは父の胸元で泣き崩れました。

----終わり----

次回は 第6回「二人の才女」2月11日放送です。

■感想

『蜻蛉日記』は藤原道綱母(ドラマ内では藤原寧子)が書いた日記です。
天暦8年(954年)~天延2年(974年)までの出来事が記載されています。
寄坐(よりまし)は、修験者や巫子 が霊降ろしをする際に、悪霊や神霊を乗り移らせる童子や人形のことだとか。
毎回面白そうなキャラの人物が登場するのが楽しみです。
今回は藤原道綱母と道綱。
それとザブングル。
永観2年(984年)の時の年齢です。
・倫子:964年生まれの21歳
・詮子:961年生まれの24歳
・忯子:969年生まれの16歳
・赤染衛門:956年生まれの29歳
・藤原道長:19歳
・藤原斉信:18歳
・藤原公任:19歳
・藤原行成:13歳
・花山天皇:17歳
まだまだみんな若いです!


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