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超自然と対峙する1. 【近づいてくる“自殺”】

■実話怪談などで珍しい話ではなくなっている、東京や大阪の至るところがあてはまる事象について。2007年、私の東京生活30年の最後の場所が西東京市、西武池袋線ひばりが丘駅下車の埼玉県新座市だった。家賃が西東京市より格段に安く、ひばりが丘駅から自転車で10分のアパートに住んだ。20年前くらいに短期アルバイトで来た時から新座には独特の懐かしい、初対面とは思えない既視感を感じていた。何かしっくりするというか、妙に溶け込める町だった。北森鴻の小説の舞台としてもふさわしい、どこかに謎を秘めつつ、ごく普通な西武沿線の埼玉の土地。この話を今なぜ書きたくなったのかはわからない。書くことでなにものかが解き放たれたいと私を急かすのかもしれない。何十人、百人くらいでも多くの人々に読んでもらうことで、供養になるのかもしれない。また読んでくださる人々への警告ともなりうるかもしれない。■ひばりが丘駅と私の住む安アパートのゆき帰り道、生活圏には定食屋、書店、銭湯、喫茶店、広い公園、図書館などがそろい、戸建ての住宅街も団塊世代が初老を迎えるのに合わせて、少しづつ痛み始めている風情だった。アパートも安いだけあって、それなりの少し疲れた若者たちが多かった。例えば夜、帰ってくると、アパート横の駐車場に30前後の男が座り込み、一人でうなずきながらほほえんでいたり。アパート一階の奥の通路に若い女性がしゃがみこんてタバコを吸っていたり。あとから思えば感だらけだ。

■ものごとは起こる時は連続でくる。地震や津波のようなしっかりとした構造とエネルギーの放出と同じで、不可視の分析不能の事象にもしっかりとした構造とエネルギーがある。

ある日、ひばりが丘駅構内で飛び込み自殺があった。反対側の線路で列車が少し離れて停車しており、十数人の駅員が作業をしていた。この時点では、少しヒヤリとしただけだった。飛び込み自殺そのものが、ありふれたものになってから数十年はたつ。

それから一ヶ月以内に、ひばりが丘駅と私の住むアパートを結ぶ道路沿いのマンションからの飛び降り自殺があった。ブルーシートで覆う作業をしている警官に聞くと、女性が最上階から飛んだらしい。かなり嫌な感じだった。近づいて来ているのではという感が強くした。

さらに一、二ヶ月たったある日、駅から自転車でアパートに帰る途中、警官が2台のバイクで走っていくのに出くわした。私の住むアパート横に駐輪、二階に上がってゆく。一旦一階にある自分の部屋にバッグを置いてから外に出た。私の部屋の斜め上すぐ奥の部屋をノックしている。何かあったのですかと聞くと、その部屋の千葉出身の若い男性の友人から警察署に電話連絡が来たという。自殺をほのめかす手紙を受け取った友人の電話にも出ないらしい。私は駅前の管理不動産会社を教え、一人の警官が鍵を借りに向かった。まもなく鍵を借りてきた警官と同僚が部屋に入った。なかなか出てこない。私はふと3日前くらいに漂っていた、卵の腐ったような臭いがしたことを思い出した。緊張した顔の警官がおりてきて連絡をしている。聞くとトイレのドアがガムテープでめばりされているという。私は臭いのことを話した。10分後くらいから騒然とし始めた。パトカーが10台くらい。消防車が数台。化学防護服、ガスマスクを着用した隊員が数名で部屋に入ってゆく。警官達が周辺住民に拡声器で、家から出るよう告知。路上はたちまち二百人くらいの住民であふれた。やがてヘリコプターが上空にホバリングし始めた。初夏の日が暮れ夕闇が立ち込め、まるで祭りの縁日のように住民がざわめく。部屋からシートを掛けられた担架が運び出され、一瞬沈黙が広がった。硫化水素自殺のため、遺体は真緑色だと警官が教えてくれた。顔見知りのアパート住民と記憶を照合すると、一度だけすれ違った髪を金髪に染めた若い男性らしかった。私の斜め上の部屋の住民だった。飼っていたフェレットも道連れにしたらしい。

それからの日々は部屋の天井、ロフトの斜め上をいつも意識することになった。気のせいでなく何か荒廃した原野のような気配がした。二階の何人かが引っ越した。ある朝、アパートオーナー(都内の音楽プロダクション)が呼んだ神主さんがバイクでやってきてお祓いをした。おーーーーっという独特の声を残った住民達は室内で聞いていた。

■結局この“近づいてくる自殺”がきっかけとなって私は関東を離れることになった。彼の自殺の原因も彼のこともまったく知らなかった。ただ自殺が近づいてくるというショッキングな事象の原因、エネルギーのようなものを少なくとも片鱗くらいはつかまないと安心できなかった。事件の後、数カ月が過ぎた頃、夕方、近くのブックオフで本を買って出てきた時、道路はさんだ墓地の中を散歩する若者とフェレットを確かに見た。

そのアパートの土地沿いに走る道路沿いに新座市の民俗資料館のような所があり、私は事件のあった翌々週にさりげなく訪ねた。新座市の独特の空気感というか風土の話をしつつ私はタイミングをはかって館長さんに硫化水素自殺事件の話をした。館長さんは私の目を見つつ、「たいへんでしたね。」と言ってくれた。実は数年前にも新座市内で硫化水素自殺があり、私はズバリ、“刑場跡地”の有無を聞いた。興味本位でなく、事件に接近遭遇したものとして、連続する自殺には何か誘因があるはずだと話す私を館長さんは信頼してくれた。まさに私の住むアパートの土地から近くの広い公園辺りまでが、刑場跡地だった。地名も首を連想させるものだ。よくくつろいでいた、地元の人もよく来ていたあの公園も、薄汚れが目立つ空き室の多い低層マンションも、私の住むアパートも跡地だったらしい。この情報から今までのことが感覚として納得できた。

だがなぜその時、自殺連鎖が私の身近に起きたのか?単純な土地の霊障なのか?そして何が私をこの土地に呼び、自殺を連鎖させたのか?

■怪を語れば怪を呼ぶという。ここは、寸止めをして、刑場跡地という極めて強い霊障エネルギー構造のさらに下層にあった歴史的霊障エネルギー構造を匿名で記す。私は当時、戦国時代の代表的名将T氏の子孫とのトラブルを抱えていた。実際、私の住むアパート付近には江戸期に徳川家に抱えられた、滅亡したT氏の家臣団の名字の家が数軒あり、トドメとして、私とトラブルの渦中にある人物の直系の戦国時代の先祖の墓のある菩提寺までが数キロの場所にあった。つまり私の抱えていたトラブルは多分私個人のトラブルというより、先祖代々引き継がれた歴史的霊障トラブルであり、【霊的制裁】であったと思われる。幸い巻き込まれることなく、帰郷することができた。

が、故郷で待っていたのは、ついてきた生霊・死霊・憑き物・神仏眷属の祟りとの遭遇とせめぎ合いだった。霊的トラブルとは、区別分析できるものでなく、かたまりになって襲ってくる。その中心には生きた人間がいる。今、このように、平穏無事な日常の中で文章を書くことができていること自体が、私が祖先霊達や私がすがった神仏に守られたということに他ならない。

■また思うに、このような現象は今、そこらじゅうにある。もう珍しくもないありふれた話だ。人と人。人と土地。集団と集団。国と国。民族と民族。陰惨な事件も地獄のような戦争もみな、深層には霊障エネルギー構造があり、今世界中で一斉に吹き出している。さらに日本だけでも原因不明?!の数万人に及ぶ年平均超過死者達の迷える霊達も、時代の怨霊化しつつあるのは間違いない。私たちは今、銃を持って自分や家族、友人、地域の人々を守り戦うことはできない。集団組織を編成して、オーセンティックな活動に乗り出すためには重症被洗脳者が多すぎる。今この文章を書いている朝にも、もう4回も救急車のサイレンが聞こえた。唯一意味あることは、情報共有による認知戦だ。この意味で、何千何万人数十万人の祈りの量子波を結集する拠点として、伝統的な仏教神道の役割と価値が高まってきている。伝統とは数千年に及ぶ日本民族の量子場に他ならないから。すべてはまず周囲から迫りくる事象の背後の超自然を認知し、それと対峙することから始まるように思う。目には目を、超自然には超自然を。

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