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倉敷の地霊

用事で倉敷に行った。白壁通りのある中央通りからかなり離れた裏通りを歩いた。その昔から場末だったと思われる花街の残骸に春の陽があたり、廃屋、飲み屋の亡霊、荒れ果てた庭、多くの人々の色恋、酒池だった狭い通りの錆びたアーチがただある。小川の流れだけがなお豊かだ。殷賑を極めたその当時でさえ、畑や小ぶりな長屋ばかりだったその地域が強い春風にさらされ、人々の思いすら残っていない。

用事を終えて、駅にもどるべく、迂回して中央通りに出た。市役所や白壁通りと交差する中央通りは、世界の倉敷の矜持、濃い芸術の空気をまとっていた。ほっとする。横道からバスケットボールをドリブルする3兄弟が出てきて弾け笑う。後方から詰め襟の男子高校生の自転車集団が。察してよけた私を笑いつつ、輝く風をまとって走りすぎる。彼らは博物館のスペースに自転車をとめ、通りにあふれ出て、皆でソフトクリームを買っている。食べながら白壁通りを流すのだろう。白壁通りからは強いエネルギーが吹き出している。遠い昔、蔵の喫茶店で友と青春という名の黄金色の時間を過ごした時空から、時の氏神が、私に手を差し伸べてくれている。散歩させる小犬が私を振り返り、飼い主の女性と笑顔をかわす。ここにまだお前の記憶が残っているぞと、倉敷の地霊が当時の愉快な若者たちに託して時空を超える魔法を、私にかけたのかもしれない。そこここを漫然と歩く白髪の諸君、君たちと私は、今まさに枯れていくかつての若木の成れの果てだ。また蔵の喫茶店で黄金のコーヒーを飲み、変わらない白壁を壁抜けして、タイムスリップしようではないか。     

夏になったら、もう一度、あの蔵喫茶に行ってみようと思った。

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