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“騎士団長殺し”読書感想文17. 《時間には荒れ地の時間もある》

“青年時代の私は、フォルムの形式美やバランスみたいなものに強く惹きつけられていた。それはそれでもちろん悪くない。しかし私の場合、その先にあるべき魂の深みにまでは手が届いていなかった。……四十歳になるまでに、なんとか画家として自分固有の作品世界を確保しなくてはならない。私はずっとそう感じていた。四十歳という年齢は人にとってひとつの分水嶺なのだ。……そして私は生活のために肖像画を描き続けたことで、既にずいぶん人生の回り道をしてしまった。なんとかもう一度、時間を自分の側につけなくてはならない。”

私の場合、時間を自分の側につけ続けた数十年だった。いわゆる破滅型のやりたいほうだい。まわりに甚大な迷惑をかけ続けながら。豊かな実りの時間ではなく、荒れ地の時間。作品は絵でも小説でもなく、企画だった。十年前くらいに、京都の青果会社にミシュラン三星料理人数人を呼び、ミシュラン料理人デザインの野菜を構想した。青果会社会長は高齢だったが飛行機で全国を飛び回って、こだわり生産者をコレクションしていた。様々な天然由来の肥料、植物性活性剤を組み合わせ機能性と食味を高め、さらに料理人が複雑な個性を付与する。知財分野もからむ“ミシュラン料理人の畑”構想。特産野菜品種を盗むとかそういう低次の競争でなく、共通の素材を組み合わせ、料理人の個性で深く畑と作物の完成度を競う。究極のブランディング。ミシュランブランドならば、世界共通のブランド農産物市場が可能だし、グローバルなブランド構築の為の資本も集まる。フランスのボルドーの葡萄畑やワイナリーにはものすごい資産価値があり、数百年にわたる、その地域の至宝となる。会合、勉強会にはアーティストのような感性が必要だった。雪の中、老会長と私はタクシーで帰るミシュラン料理人を深々と礼をしつつ見送った。しかしむりやり地の利と人の和を作ったが、天の時ではなかったようだった。画期的モデルが誕生する為には、人智を超えた天の配剤がいる。

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