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ヒロキと弘樹はトルナトーレには出会えない

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ニューシネマパラダイスの監督ジュゼッペ・トルナトーレに会いに行く42才になった監督の弘樹。映画の道を歩み始める20代・大学生のヒロキ。時空を超えたクロス・マッチングストーリー。果…
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第三十四回「イタリア縦断記」その弐 ~目指せニューシネマパラダイス~

「まだ旅は始まらない」  2018年7月 ヴェネツィア  思えばシチリアへ想いを馳せてから、…

第三十三回「イタリア縦断記 その壱」~目指せニューシネマパラダイス~

 「人はなぜ旅をするのか?」   2018年7月  ベネチア  国内であれば、「旅はいつ…

二十七回出鱈目なパズルその四「立往生する中で彼女が語ったこと」

一九九四年 二月の北海道 ◆最極シリーズの旅の始まり  稚内まで来た。  最果ての地に来…

二十六回 出鱈目なパズルその参「そして僕は再び北に向かった」の巻

1994年2月 草加→北海道    またこの問題にぶつかった。 ぶつかってしまった。 映画っ…

二十五回「出鱈目なパズル その弐 妄想映画人の誕生」の巻

1994年 1月  草加 〇妄想映画人は朝が早い   朝の大学が好きだ。時期で言えばそうだな、…

二十四回 「出鱈目なパズル その壱」

一九九四年初頭の出来事  草加 我ながら出鱈目なことばかりしている、と分かっている。この…

二十二回 「僕は本で出来ている」

1994年 2月 草加 〇 運ばれた荷物の殆どは本だった。 こうしてみるとよく分かる。僕という人間は本で出来ているという訳だ。他の荷物はといえば、大モノはセミダブルのベッドと本棚、そして小学から使っている学習机のみ。あとは洋服が少々というぐあい。別にベッドも机も実家に置いてきても良かったのだけれど、あれだけのタンカを切って出てきた以上、部屋を空っぽした方がいいように思えて、敢えて運んできたのだ。 本棚に入りきらない本たちは、開封したダンポールから物珍しそうに顔を覗かせて

十九回 「辞める、止めた、やめだ!」

1994年1月 R女史の部屋・草加  RECボタンは押しっぱなし。コタツに寝転がりながら、弘樹は…

連載十七回 「どんなことをしようとも、自分のすることを愛するんだ」

◆一九九三年十月 渋谷  第六回東京国際映画祭ー、これが僕が初めて行った映画祭だ。渋谷のB…

第十二回「この旅が、誰かを救う」

◆1993年 9月函館駅より 「さあ、北海道に上陸だ」とふざけて笑いながら僕は言う。R女史…

第八回「北の国から恋は始まる!?」

◆一九九三年 大冷夏 獨協  「三強の対決」はいいものだ。僕は昔から三角形というものにも惹…

六 「若き映画監督に捧ぐ」の巻

◆一九九三年 獨協 『拝啓、桜前線がようやく北海道に届く頃だと云うのに釧路は連日霧が立ち…

四、 「すばらしい日々」

◆ 一九九三年、五月。  ユニコーンが新しいシングル「すばらしい日々」をリリースした。半…

二 、サクラはサクが、青が散る

◆1993年、4月。入学式。 冴子は、来なかった。同じ高校から弘樹と同じく指定校推薦で入学したクロから「冴子、海外へ行ったらしいよ、ハハハ」と、いつもの軽い口調で聞かされた時のことは、今でも鮮明に覚えている。  待ち合わせの約束をしたのは七人。しかし、集まったのは六人。信じられなかった。場所は中央棟前の石碑の前。「大學は學問を通じての人間形成の場である」と建学の理念が書かれているあの石の前だった。昨年十一月の推薦入試で、たまたま出会った七人だったのだが、冴子が放った一言に