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ヒロキと弘樹はトルナトーレには出会えない

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ニューシネマパラダイスの監督ジュゼッペ・トルナトーレに会いに行く42才になった監督の弘樹。映画の道を歩み始める20代・大学生のヒロキ。時空を超えたクロス・マッチングストーリー。果…
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#将来の夢

第42回「イタリア縦断記 その10」目指せニューシネマパラダイス 夢の島へはゆっくり…

1992年 弘樹高校2年。 では、シチリアにはいつ、どのように行けばいいんだろう。弘樹は、ぼ…

第41回「イタリア縦断記 その9」目指せニューシネマパラダイス 映画の道

「夢の島シチリア」  シチリアへ行きたい。  あの映画の中に、世界に入ってみたい。  初…

二十九回 臨時号「うさぎとかめの真相」前編

林 弘樹 (映画監督・社会創造家) みなさんご無沙汰しております。お元気ですか?「会いた…

二十八回出鱈目なパズルその五「最果ての地・音のない湖の上で」

一九九四年 阿寒湖 三月 ◆君はH先生に会ったことがあるか?   ここまで来たらもう行く…

二十六回 出鱈目なパズルその参「そして僕は再び北に向かった」の巻

1994年2月 草加→北海道    またこの問題にぶつかった。 ぶつかってしまった。 映画っ…

二十五回「出鱈目なパズル その弐 妄想映画人の誕生」の巻

1994年 1月  草加 〇妄想映画人は朝が早い   朝の大学が好きだ。時期で言えばそうだな、…

二十四回 「出鱈目なパズル その壱」

一九九四年初頭の出来事  草加 我ながら出鱈目なことばかりしている、と分かっている。この数か月は順序もちぐはぐだし、論理的とは全く思えないことばかりに遭遇している。いや、結局のところ自分でそういう事態を引き起こしていたりする。 自分で振り返っても、想像してなかった展開になっているので、とりあえず並列に書き出してみる。   一、サークルを辞めた 一、連日物乞いのように先輩たちの家を渡り歩いている 一、先月また北海道へ旅に出た 一、夜間の専門学校に申し込んだ 一、

二十二回 「僕は本で出来ている」

1994年 2月 草加 〇 運ばれた荷物の殆どは本だった。 こうしてみるとよく分かる。僕という人…

十九回 「辞める、止めた、やめだ!」

1994年1月 R女史の部屋・草加  RECボタンは押しっぱなし。コタツに寝転がりながら、弘樹は…

連載十七回 「どんなことをしようとも、自分のすることを愛するんだ」

◆一九九三年十月 渋谷  第六回東京国際映画祭ー、これが僕が初めて行った映画祭だ。渋谷のB…

三、ヴェネツィア 「両国くんの事情」

◆2018年、7月。  「互いにどうしても譲れない一線まで来てしまい、僕からはいったん『…

四、 「すばらしい日々」

◆ 一九九三年、五月。  ユニコーンが新しいシングル「すばらしい日々」をリリースした。半…

二 、サクラはサクが、青が散る

◆1993年、4月。入学式。 冴子は、来なかった。同じ高校から弘樹と同じく指定校推薦で入…

序「二つの時代の物語を」

僕は「カントク」と呼ばれている。映画の監督を生業としているから、まあそれは仕方のないことだろうと思う。28歳でデビューしてから43歳までの15年間、出会う人の全てにそう呼ばれていると言っていい。妻の日奈子でさえ「監督さん」と呼ぶし、僕が映画を撮っている所を見たことがない人も、そう呼ぶ。  映画「ふるさとがえり」の制作を岐阜県恵那市で行った時のこと。出会って5年、10年経って、初めて僕がカメラの前で「カット!」と声を張り上げる場面に出くわした人たちが、「カントクって本当に映画