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水が合いますように

「無理がない」というのは、「不自然じゃない」と言いかえられる。おそらく。

10年近い一人暮らしを脱し、人との共同生活を始めてもう半年以上が経った。僕から声をかけた人がほとんどなので、最初からそこまで不安はなかった。とはいえ、それでも我ながらすっかり慣れたものだなと思う。

「ああ、大丈夫だな」という瞬間は、突然に来た。たしか去年の12月の頭くらい。最初のメンバーと一緒に暮らし始めて1か月くらいが立った頃で、引っ越しからバタバタしていた荷物の整理もひと段落つき、大体の家具や日用品が一旦の居場所についた時期だった。この家、めっちゃ寒いのでは…?という共通の危機感(笑)が生まれ始めた頃でもある。


・・・


朝、いつもより少し早く起きれたので朝食にスープを作った。この家に来てから、一人暮らしの頃より少し多めに作る。食べ終わったくらいに2階から物音がしたので、どっちかが起きたな、と思う。

洗面所で顔を洗ってると、住人の男の子が階段を降りてきたのでタオルに顔を押し付けた状態でモゴモゴとおはようをかわした。
「スープあるから、食べていいよ。」
「え、やった。パン焼こっと。」
洗面所とキッチンは会話ができる距離。

そうこうしているうちに、もう一人の女の子がリビングに降りてくる。朝からの授業があるみたいで、アワアワしている。普段から朝はあまり食べない子だとはわかっている。食べてもバナナかヨーグルト。女子大生かよ(女子大生である)。

「今日、昼帰ってくる?」
「あー、どうしよ。わかんないです。」
「おれ仕事で多分おらんけど、スープ余ってるからよかったら食べて。残ってたら夜食べるし。」
「おっけーです!」
うちの末っ子がパタパタ出ていくのを見送る。

いまでも鮮明に思い出せるこの日、そういう全部が普通になっていると感じて、一人で勝手に驚いていた。そして、ちょっとニヤニヤしていた。嬉しかった。(そして「すっごい普通になっててびっくりしてる」と彼らに話した気もする。)

そこには「不自然さ」がなくて、もっと前から一緒に暮らしているような感じ。「居心地がいい」とはまた違って、そういうことも気にならない「普通さ」に、大丈夫を感じた。大丈夫なんだなと思って、上手くやっていけそうな気がして、嬉しかった。


水が合うという感覚が、思っていたよりも早くきた。

ちなみに、その日のゴミ出しは失敗した。油断大敵。


・・・

始まったばかりの家なので、他人と暮らすのは僕を含めみんな初めてだった(はず)。小さな子どもじゃないし、この家じゃなくとも暮らしていけるところ、みんなこの生活をわざわざ選んでいる。

できるだけ続けていきたいから、楽しさも大事だけどどれだけ無理がないかを気にしていたい。家のきれいさも生活リズムも、お互いへの思いやりは欠かさずに、それぞれが無理のないように暮らせることに気を配っていたい。

無理がないとは、「不自然じゃない」ということ。
最近、自分の体調のことを知ってくれている人から「無理しないで」という言葉をかけられることが増えていて、自分にとって何が自然で、何が不自然なんだろうなと改めて考えることがあった。

傍からだと、他人と暮らしている今の僕の生活は自然ではなくて、「無理」のタネに見えたりもするのかな。そうなる可能性はあっても、そうならないようにしていたいな。今の暮らしを、よく知りもしない人に否定されるのは嫌だな。

それならば、まずは自分が無理をしないことだ。自分が自分にとって不自然なことをできるだけやらないようにしよう。すごく活発じゃなくていいから、寛容で穏やかに、機嫌よく過ごせるように努めよう。

これからも水が合いますように。

今日、少し思うところがあって、ちゃんと生活を整えようと心に決めたのでその所信表明でした。

さあ手始めにパソコンをさっさと閉じ、シャワーを浴びてから少し読書をして、明日に備えてベッドに潜るのだ。

この日は見送られる側でした


***


できるだけたくさん「書く」ことができるといいなと思っていて、そして書くことはきっとたくさんあるのだけど、体力やら時間やらがいつもあるとは限らない。だから、そういう日はそういう日なりのあっさりとした雑なひとりごともいいかと思っている。そういうつもりの第一号を今夜は書きました。


そろそろ明日か明後日くらいには、一度いまの暮らしがどんなものかちゃんと書いておきたいと思ってます。そちらもどうぞよろしくお願いしますね。


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