自立と自律
職場でサブディスプレイを使いたくて、でも買うほどのことでもないし、あわよくばとSNSで「いらない外付けディスプレイかテレビを譲ってくれる方はいませんか」と募集したら、友達の高校生がすぐに連絡をくれた。
近所だったからほんの15分後には自転車でディスプレイを持ってきてくれた。大学受験に合格したようで、春から東京で一人暮らしになるらしい。
おめでとう。君の地元から、応援してるぞ。
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僕も大学進学を機に実家を出て一人暮らしを始めた。通える距離ではないから選択の余地はなかったのだけど、そうやって学生のうちに一人暮らしを経験できたのは良かった、そういう環境に自分があったということはありがたかったと思っている。
一人暮らしをした学生時代。この期間に僕は、自分で自分の生活をつくることを学んでいたのだと思う。「ジリツ」して生活することを学んでいた。
地元の両親から生活費の仕送りを受けていたから、「自立」には程遠かった。実家暮らしで、バイト代や仕事の稼ぎを家に入れている人の方がよっぽど「自立」していると思う。
学生時代の自分は「自立」していたとは口が裂けても言えないけれど、でもなんとか「自律」しようとは頑張っていたんじゃないだろうか。
毎日、学業と体育会の活動の中で、なんとか家のことをしていた。
油断するとすぐに汚れる水回りをこまめに掃除...はできなくて、限界が来た時に一気に片付けて、綺麗にはなるけど燃え尽きてまたサボって、
できるだけインスタント食品には頼らないように自炊をして、時々失敗して、忙しくなることがわかってたら大量のカレーを作り置きして連日食べて、
家電が壊れて、修理するか買い替えるか通帳を睨みながら悩んで、
ゴミの出し忘れやエアコンの消し忘れ、それからトイレットペーパーの買い忘れにうなだれて。
たくさんの「やらなきゃいけないこと」に追われながら、その時の自分にしかできないことにチャレンジしたり。
いま思うと大体のことは大したことないけれど、初めて「生活」に立ち向かった時はそのひとつひとつに手いっぱいになっていた。
あの頃の僕はそうやって、少しずつ自分の生活をコントロールしようと頑張っていた。自分で自分を律して生活しようと頑張っていたのだ。
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そういう経験を、学生のうちにできてよかったなあと思う。
自分で生計を立てる「自立」までの過程(僕自身まだ道半ば感がある)に、きっと自分の生活を自分で律する「自律」があって、
自律はなんとかできていたから、社会人としての1年目、見知らぬ土地でどうにかやってこれた。苦しいこともあるけれど、これが一人暮らしのスタートと同じタイミングだったら、もっと大変だったんじゃないかと思う。
僕の場合、一人暮らしをしたことが「自律」を促してくれたように思う。学生という立場、社会人ほど時間に追われない余裕のある環境で、両親や先輩の援助を受けながら、気のおけない友達と「生活」に奮闘した時間。
「自律」しているというのは、身の回りのこと自分で決められる状態のことだと考えている。一人での暮らしは、自分で決めることが増える。
自由には責任が伴って、あの頃に感じた小さな小さな責任に僕は育てられたように思う。その延長線上に今の暮らしがあるのかもしれない。
「自立」に向かう途中で、「自律」を学んでこれた。
僕の場合は一人暮らしがその機会だった。
今も相変わらずだけれど、恵まれていたなあとつくづく思っている。
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あとがきを少しだけ。
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