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悲しみは何処となく温かくて
夏の終わりだったあの日は、きっと、この先何度も思い出すことになる。
***
2020年を振り返ってみると、もちろん思わず顔がほころぶような思い出もあるが、どちらかといえば悲しかったことや苦しかったことの方が少し多く思い出されるような気がする。
悲しいという気持ちは、大切な何かを失ったり、そこにはもうないとわかってしまった時に押し寄せてくるものだ。社会にも自分にも大きな変化があって、自分の周りにある大切なものや人を手放したり、あるいは向こうから離れていったり、少しずつ失って、ときにひどく傷ついた。
夏に、そんな1年を象徴するような出来事があった。今までになかったくらいに悲しみがあふれるようなことで、喪失感に深く傷つき、しばらく食事をとる気も起きなかった。
そんなズタボロな時にふと、「この自分を記録に残しておこう」と唐突に思い立って知り合いだったカメラマンのお姉さんに連絡したのだ。いま考えても何を言ってるのかよくわからないが、その時の自分にはそれがとても重要なことに思えた。
「悲しいことがあって…」くらいの説明だけで、彼女は詳しい事情を聞くことなく「そういうことなら」と快諾してくれた。そうして夏の終わりも近づいたある日、僕は初めて、写真を撮られる人として小さな旅をした。
***
当日の朝にうちの最寄り駅で合流して、車で目的地に向かう。「今日どんな感じで撮るといいかな?」と聞かれたので、「ご主人と出かけた時にスナップとか撮りますか?そういう自然なのだと嬉しいです」と答えた。
とにかく、いまのありのままの自分をフィルムに収めて記録しておきたかった。いつか振り返った時、こんな悲しい顔をしてたんだな、でもそこからしっかり立ち直ったな。そんな風に思える記録を作ることに、何か意味があるんじゃないかと思った。
そんなわけでこの日は1日中ありのままに、悲しい表情をしていいと思っていた。
ところがいざ始まってみると、当初の予定よりもずっと、僕は笑顔で過ごしていた。「違う、違う、残しておきたい気持ちは、表情はこれじゃなくて」と当初の目的を意識してもの寂しい顔をしてみたが、それはそれでしっくりこない。
ちょうど、その悲しい出来事があった日から1週間が経っていた。まだたったの1週間だった。
その1週間の間に悲しみが癒えてしまったかのようで、ふつうなら前向きで喜ばしいことのはずなのに、
あの時、僕は少し慌てていたのだ。
思っていたよりも自分が立ち直っていたことに。
本当に、本当に悲しみに暮れたのだ。心のとんでもなく深いところをナイフでえぐられるような痛みがあったのだ。どうにもこうにも上手く泣けなくて、苦しかったのだ。心から大切にしたいと思っていたものが、最初から自分のもとになかったことを突き付けられていた。
それなのに、だ。
1週間後の僕は、思っていたよりもずっと明るい表情をしていた。
あの悲しみは、僕のあの人への想いは、そんなすぐに立ち直れるものだったのか。おいおい、違うじゃん。もっと、もっと苦しかったはずじゃん。なんでそんなに楽しそうなんだよ。違うじゃん。もっと悲しみを引きずってよ。違うじゃん、そうじゃないじゃん。
この日はまだ、悲しみを抱く自分でいたかった。そういう自分を、自分で慰めていたかった。
***
たぶん、寂しかったのだと思う。自分から離れていってしまいつつある悲しみを「もうちょっとそこにいてくれよ」「置いていかないでくれよ」と呼び止めたがっている自分に、あの日、気づいていた。
悲しみに浸って弱っている自分はなんだか可愛く感じられて、だからまだ悲しいままでいて、甘やかしていたいんだなと思った。誰かに甘えてたいんだなと思った。
あの日、悲しみをまだ手放したくなかったんだ。
しばらくたったある日。昔聴いたYUIの『to Mother』の詞をふいに思い出した。あの日の気持ちに繋がった気がした。
悲しみって 寄り添えば何処となく温かくて
文脈は多少違うけれど、その言葉があの時の気持ちに輪郭をくれたのだ。
そう、温もりがあって、悲しみの方から実は寄り添ってくれている。
優しさって そばにあればふと甘えてしまうもの
悲しみを抱いていると助けてくれる人がいて、優しさに触れられるかもしれない。悲しいという感情自体、つらい出来事に出会ってしまった自分への優しさかもしれない。
冬の日の温かい毛布のようなその優しさにいつまでも甘えていたくなるけれど、自分でその温かさから離れていくという時がある。自分で思い切って飛び出すこともあるし、自然と何かのタイミングで離れていくこともあるのだろう。
そういう時が来たら、そのまま進むのだ。
はじめは少し肌寒くて心細いかもしれないけど、進むのだ。そのまま進むのだ。
***
あの夏の日、悲しみに暮れる自分を残しておこうと思った。でも、写し出されていたのは少し前向きに、歩みを進め始めようとした自分だった。
悲しみは何処となく温かくて愛おしいものだと知った。忘れられないのではなく、忘れたくないのだ。そうでないと心細くて凍えてしまいそうな気がするのだ。
そこから前に進むには、自分を包み込むような温かい悲しみから離れていかなきゃならないし、そういう時が自然と来ることもある。
そう気づいたとき、やっとあの日の「置いていかないで」という気持ちに折り合いがつけられた。ちゃんと意味があったと思えた。はじめおもっていたものとは違ったけど、あの1日にはちゃんと意味があった。
夏の終わりに駆け込んだようなあの日、はじめて悲しみに「まだそばにいてくれよ」と願ったあの日のことを、きっと何度も思い出すだろう。
悲しみはどことなく温かいものだってことを、その温もりから離れはじめたあの日の自分をみて、写真に写る自分の表情をみて、何度も思い出すのだろう。
みなさま、2021年もよろしくお願いいたします。
(All photos by 平塚みり)
最後まで読んでいただいてありがとうございました。このnoteにいただいたサポートは、すべて写真を撮ってくださったカメラマン、平塚みりさんにお渡ししたいと思っています。もしよろしければ、こちらもどうぞよろしくお願いします。
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