スマホと時計を手放してキャンプをしたら、大事なことに気がついた②-「連絡がつかないから、信じて待つ」ということ-
今年の11月末から12月頭は箱根の芦ノ湖でキャンプをして過ごしました。
ただのキャンプではなく、「完全にオフライン」になって、つまりPCやスマホ、時計をも手放してノーデジタル・ノーバッテリーで過ごすというもの。
「2019アンプラグド・ダイアログ・キャンプ」
(FBイベントページはこちら↓)
現代社会で、意図してしか作りづらくなったオフラインの時間を、初めて出会った方たちと過ごしての気づきを少しづつ書いていきますね。
自分の中にある「絶対的な軸」について感じた①はこちら↓
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待ち合わせの尊さ「信じて待ってるね」
金曜日の夜から日曜日のお昼前までのキャンプだったので、前日には
「仕事終わってから向かうので、21時ごろになります!」
「土曜日の朝からの参加になります!」
といった話が参加者のMessengerグループに出ていましたが、
キャンプが始まったらオフライン。
連絡がつかないってことに気がつきました。「何時ごろに着く」っていわれても、待ってる方は時計も持ってない。
「夕飯残しておくからね、なんとかたどり着いてね。」
「無事につけること、信じて待ってる。」
「きっと待っててくれてるんだな、そこにみんないるんだよね、と思いながら向かいますね。」
「連絡がつかないから、信じて待ってるしかない」
そんな経験、ここ最近なかったなあって思いました。
オンラインだと「信じて待つ」がしづらいのかもしれません。
さて僕は遅刻の予定じゃなかったんですが、つくばでのタスクが片付かなかったことと高速バスが渋滞したことで約2時間の遅刻に。
バスでの移動中にMessengerで告げられたコテージの番号だけを頼りにして、もう日が落ちた芦ノ湖の周りを歩く。徐々に下がる気温。灯りはあれど、足元が見えづらくなるにつれて増す不安。
そんななかで、「みんながいる場所」にたどり着く。
「あ、来た来た。無事にこれたね、よかった。」
「もうすぐご飯にするからね。」
そんな風に迎え入れられて、なんだか「家」に帰ってきたみたいな、不思議な温かさ。ドラマティックでも、ロマンティックでもない、じんわりくる温かさ。
主催の長尾彰さん以外とは面識がないなかで、でもそんな見知らぬ僕のことをみんなで「信じて待つ」してくれていました。
▲出会った日の晩、一緒にご飯を食べて、その後ろうそくの灯りだけでお喋りをしたりしたあの時間がとても素敵でした。
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思えば、「いまどこ?」って聞けない待ち合わせ、前にしたのはいつだろう?
中学生の時には携帯電話を持っていたから、小学生の時?
そうなってくると、もうあんまり覚えてないなあ。
ああ、でもその頃、
学校から帰って、サッカーの練習に行って、そして自転車で友達と帰ってきて。
たまに友達と道草をして、たまに暗くなった公園で一人でボールを蹴って、
そして家に帰って母の作ったご飯を食べる。
あれは、母とのそういう待ち合わせだったのかもしれない。
あの頃の僕には連絡がつかなかったから、
少しくらい帰りが遅くなっても待つしかなかったんだよなあ。
信じて待つしか。
自分のことを「信じて待つ」してくれる人は大切だ。
そういう人がいることも、それに気づくことも、とっても大切だ。
いま、僕を待ってくれている人は誰だろう。
あなたは、どうですか?
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「信じて待つ」って尊いなって、たしかにあの時も思ったけど、
あの日感じた温かさを改めて振り返ったときに、より深い気づきになった気がします。
キャンプ中の体験の振り返りから、遅れてくる気づきもたくさんありそうです。
このキャンプは十数年くらい続いているそうで、きっと来年も企画されると思います。興味のある方はぜひご参加ください。
多分、続く
つづき↓
前に書いたやつ↓
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