教科書とは異なるアパルトヘイトの現実

こんにちは。

僕は南アフリカ共和国に留学してアパルトヘイトという政策について、現地の人の話や実際の建造物を通して学んできました。

南アフリカでの経験はショッキングなものも多く、僕の考えに大きな影響を与えてくれました。

特にこのアパルトヘイトの現実は一人でも多くの人に知ってもらいたいため、今回はNoteに執筆します。

あなたはアパルトヘイトという政策を知っていますか?


アパルトヘイトとは

アパルトヘイトとは南アフリカ共和国で1994年まで施行され続けていた人種隔離政策のことです。

金がたくさん採れた南アフリカの地で白人たちが黒人達を労働力として扱ったことがきっかけで始まったこの政策は、政策が廃止された今でも人々の心の中に残り続けています。

教科書とはかけ離れた現実

アパルトヘイトは終わった。

教科書でこう習ったはずでした。
確かに政策としてのアパルトヘイトはすでに終了しています。
しかし人々の心にアパルトヘイトは今もなお根強く残り続けています。

町にはたくさんのホームレスがあふれ、そのほとんど(99.9%くらい)が黒人でした。
富裕層向けのエリアには白人たちのプールやジム付きの家が並び、その横には路上で寝ている沢山の黒人たちの姿。

タウンシップと呼ばれる貧しい人向けのエリアには、たくさんのコンテナが置かれていて、そのコンテナの中に家族7人で暮らすという信じがたい光景。

掃除スタッフやスーパーのレジ打ちなど給料が低く、皆が避ける仕事はすべて黒人が行っている。

アパルトヘイトは終わったって思ってたけど本当にそうなのかと思うような光景と毎日のように出会いました。

確かに政策としては終わったかもしれない、けれども人々の心に染み付いた差別の心を取り除くことは容易なことじゃない。

それでも着実に前に進んでいる。

丁度僕らの世代が生まれた頃アパルトヘイトは終わった。
だから僕ら世代の子供たちは教育を受けること、白人と共に生きることが昔と比較すると普通になっている。

僕らの世代がおじいちゃん、おばあちゃんになったとき人々の心から差別の心が完全に消えていて欲しい。

レストランでの衝撃体験

僕には南アフリカでできた黒人の友達がたくさんいる。

そんな彼らとあるレストランに行ったとき、注文しようと思ってウエイターをよんだ。

あれ?ウエイターがこない。

どうやらその店では黒人に出す料理はないらしい。

彼らは肌が黒いというたったそれだけの理由で差別されているのだ。

自分が実際に体験したのは初めてだったので驚きと、怒りでいっぱいになった。
また店を出るときに友達の顔を見たとき、胸が苦しくて仕方がなかった。
とても現実で起きていることとは思えない。

もう一つある。

これは実際に見たわけではないけど、地元の人に聞いた話。

彼女の祖先はインド人で彼女の肌は白くない。
イエローと呼ばれる日本人みたいな肌の色をしている。
彼女がある白人が多い学校に転校したとき、彼女は1年間一度も、決して先生から指名されなかったそうだ。
当時彼女は小さかったからまだその意味を理解しておらず、なんで指名されないんだろうなーくらいにしか思ってなかったらしいが、ひどい話である。

この現実を見て、聞いた僕は広めること、発信することでしか力になることができない。

最後に

世界の反対側でこんなことが起きているってことに僕は衝撃を受けた。
これは2020年ごろの話だが、次に南アフリカへと旅行した際は今とは全然違う日常になっていて欲しい。




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